21世紀を迎えて、 一年が過ぎた。 ここ数年にわたって邪馬台国論争をいろいろな観点から、 素人なりに調べて来た。 そして、 最近になってある程度邪馬台国の輪郭と、 その歴史というものが見えてきたように思う。 ここでは、 最新の考古学の成果や、 文献史学の結果を基に邪馬台国論争について、 もっとも蓋然性の高い説を示してゆきたいと思う。 三国志の「魏志倭人伝」 中国では、 王朝が革命によって変わるごとに、 前の王朝の歴史を記すことになっていた。 その最初のものは、 司馬遷の史記である。 司馬遷は前漢代において、 地方をくまなく歩き、 そして、 資料を集め、 遠く中国の主流となる華民族の歴史を調べ、 そして自分自身が生きてきた前漢までの歴史を綴った。 後の王朝もこれにならった。 後漢帝国の崩壊(220 A.D)後、 中国には、 魏・呉・蜀の三国が鼎立する事態となった。 やがて、 蜀が魏に滅ぼされ
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