現代美術グループ・chim↑pomが、広島現代美術館での展覧会に際して、広島市の上空で飛行機の煙を使って「ピカッ」という文字を書いたパフォーマンスをしたところ、被爆者団体から抗議に合って謝罪し、展覧会も自粛する結果にいたった。 広島で生まれ育った僕にとって、こうした即座の謝罪や自粛発表まで含めて、それはヒロシマではありがちな、どこか見た光景でしかなく、正直「ヒロシマ的予定調和またひとつ完成」という感じである。 ゲリラでやる以上は謝罪しては元も子もないし、そんなヒロシマ的予定調和を招きたくなければ、事前に上手く交渉すれば良かっただけの話だ。少なくとも、原爆語りに疑義を呈することがタブーと化している街・ヒロシマで、一朝一夕には問題提起することなんてできるわけがない。60年以上続いているタブー=思考停止の街なのだから。 しかし、その後におこなわれた蔡国強による、原爆ドームそば(厳密には市民球場と
ゲームと小説で思い出したが - The Chimera of Uncertainty -不可測的混成生物-ゲーム(アクションかシューティング)攻略のさいの何か掴めてきた感じというか、悟ってきた感じというか、恍惚感というか一体感とかいうものを書ききってる小説に出会った験しがない。 こういう小説を読みたいな、と思ったらウィリアム・ギブスンとマイケル・スワンウィックの共著による短編「Dogfight(1985年)」を読めばよろしい。この短編の「現在性」は2008年になっても少しも失われてないよ。 クローム襲撃 (ハヤカワ文庫SF) ウィリアム ギブスン 早川書房 1987-05 売り上げランキング : 194804 おすすめ平均 Amazonで詳しく見る by G-Tools あとこれに収録されている「パックマン」もゲーマーの基礎教養として読んでおくこと。 ラッカー奇想博覧会 (ハヤカワ文庫SF
→紀伊國屋書店で購入 ロンドンは世界で最も人種多様性が高い街だ。ウィンブルドン化のジレンマも随分前から叫ばれているが、その中にあって今も最もイギリスらしさを残すものといえば、クリケット、パブ、そしてrock musicだろうか。この街で聴く音楽は、その少しーいやかなりー荒れたvenueの雰囲気ともあいまって、ざらついた感触を体験として残すものだ。まずい屋台メシがそのザラツキをいやましてくれることであろう。 大衆音楽史はミュージシャンと音楽の歴史である以上に産業史であり文化史である。Continuum社の大型レファレンスEncyclopedia of Pupular Musicの刊行にみられるように、そうした立場での研究が既に始まっている。本書を読んだ後は、ボブ・マーレイの音楽もこれまでとは違って聞こえてくるはずだ。黒人たちの市民権獲得の戦いであるし、旧宗主国からの自立のための戦いでもある。
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