ブックマーク / mazmot.hatenablog.com (2)

  • 息子が不登校になったときの思い出 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    学校は行っといたほうがいい。これはもう大前提だ。その上で、実際には学校なんてそこまでのもんでもない。だから、命がけで行くようなもんじゃない。しんどかったら行かなければいい。新学期のこの時期、こどもの自殺が有意に増える。死ぬくらいなら休めばいいし、何なら不登校になったっていい。私の息子は中1の夏休み明けに不登校になった。それでもおかげさまで二十歳になったいまも元気に生きている。 ただし、彼は絶賛無職アルバイト中で、世間的にいう安定した人生への道からは大きく外れている。たぶん、外れっぱなしのままでいくんだろう。だから、一般には学校に行っといたほうがいいのはまちがいない。命、とまでは言わなくとも、健康(心の健康も含め)に大きく被害が出ない範囲であれば、まあガマンして行っといたほうがいい。 もちろん、いったん路線を外れても復帰する道はある。実際、私がこれまで教えた生徒でも、半年不登校やってましたと

    息子が不登校になったときの思い出 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    khatsalano
    khatsalano 2023/09/03
    担任の教師が桁外れに酷いな。何の権限があって部活への参加を「禁止」したんだ。自分で勝手に罰を科したのなら,恣意的にルールを動かせる小さな独裁者でしかない。
  • 校正やってた頃の思い出 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    大学を途中で辞めてバイト生活をはじめてしばらくして、私が自分の仕事として選んだのは編集だった。もう40年も前のことだ。まだDTP以前の時代で、主流は写植だった。電算写植がそろそろ出てきていたけれどまだ虫眼鏡でドットが見えるぐらいの解像度で評判は悪かった。むしろ活字のほうがきれいだということで、実際、活版清刷り*1の仕事なんかもそこそこにあった。そんな時代のことだから、現代の常識とはちがう。もっというと、出版関係のオペレーションは出版社によってちがうし、業界によってもだいぶ常識がちがう。たとえば私のいた学参業界なんてのは著者と編集者の境界線が非常に曖昧だった。編集プロダクションは著者を起用する前提で原稿料と編集料の両方を請求するのだけれど、手練の編集者になると著者への依頼はせずに自分で原稿を書いてしまい、両方とも懐に入れるなんてことをやってた。出版社もちゃんとした原稿ができればそれでOKとい

    校正やってた頃の思い出 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    khatsalano
    khatsalano 2023/03/03
    すごく面白い。私は教委で出版めいた仕事をしていた。概ね,似てるところが多いかな。ここでいう編集・校閲・校正が全て曖昧な酷い仕事をしていたなあ。それで執筆の偉い先生たちを何度か怒らせた。
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