◆湯川、朝永時代は敬称付き もう半世紀以上もむかしのはなしだが、1949年に湯川秀樹先生がノーベル賞を受賞なさったときは大変だった。敗戦後わずか5年、すっかり自信を失っていた日本人にとって、あの受賞は大きな励ましになった。新聞は連日のように、特集記事でノーベル賞という賞がいかに重要なものであるかを報道し、受賞理由になった素粒子だの中間子だのといった、理論物理学の解説記事を掲載した。 あの時代を思い出してみると、記事もそうだったし、庶民の日常会話でも湯川先生はおおむね、「博士」あるいは「教授」という敬称をつけて語られていた。もちろん、社会面のくだけた記事は「湯川さん」と「さん」づけで書かれてはいたが、正式にはいつも「湯川博士」であった。65年の朝永振一郎先生のときもおおむね、「博士」として報道されたように、わたしは記憶している。 ◆受賞者も今やさんづけに そうした敬称がいつのまにかなくなった