四年余の中断を経て書き加えた『死霊』九章の続稿ペラ八枚の末尾に、埴谷雄高は「《死霊》了」と書いた。ほんとうに『死霊』は終わったのだろうか。作者自身が「了」と書いたのだから終わったのだというのでは、いささか単純すぎるだろう。「《死霊》了」の話を聞いたとき、私はほとんどわが耳を疑ったのだった。 全集では未定稿として扱われることになった続稿を除く九章の原稿が出来たのは一九九一年だが、その前後数年間、私は埴谷さんに会う機会を比較的多くもった。そして会うと埴谷さんの話題は、かならず九章の「むずかしさ」になるのだった。 埴谷さんは『死霊』の書かれてしまった部分ではなく、執筆中の、あるいは構想中の部分についてよく話した。六章執筆中のことだったが、とつぜん紙と鉛筆をとりだしてボートの平面図を描き、ここに津田夫人がつかまっていて、ここに黒川建吉がいて、と例の隅田川とおぼしき河の眞ん中で転覆したボートの情景を