http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090917/1253158517 明治10年の西南の役*1に際して、「警視庁抜刀隊」が組織され、多くの旧会津藩士及びその子弟が志願した。 実は西南戦争時の抜刀隊の件についてはいずれきちんと調べておきたいと思っていた。もちろん、「百人斬り」否定論とのからみで、である。薩摩側の斬り込みに農民・商人出身者が主体の官軍兵士が太刀打ちできず、そのため官軍も士族出身の警官から選抜して抜刀隊をつくって対抗した・・・というわけであるから、山本「事実であろうと、なかろうと」七平センセがいくら七平メソッドを振り回そうが日本刀が兵器としての一定の実用性を備えていたことはもうそれ以上論ずるまでもない事実であるわけだ。「百人斬り」報道ではM少尉が「俺の関孫六が刃こぼれしたのは一人を鉄兜もろともに唐竹割にしたからぢや」と語ったとされ、否定派は「そんな