1987年4月。キーンランド競馬場はこの年の開幕日を迎えていた。第1レースが迫った女性ジョッキールームで、落ち着かない1人の東洋人女性騎手がいた。 「サンディーという可愛い名前の女性騎手が1人来ない。遅刻ならサンディーちゃんは騎乗停止処分になってしまう」 人の良い彼女はそう思い、他の騎手に声をかけようかとしたところで、ふとひらめいた。 「バレットから伝えてもらえば確実だわ」 早速、彼女のバレットが誰かを聞いて、言った。 「貴方のジョッキーにすぐ女性騎手室へ来るように伝えてください」 競馬博物館での一葉男の子として育てられて浦和で騎手デビュー 土屋登は浦和競馬場で調教師兼騎手をしていた。妻・房子との間には2人の女の子を授かっていた。しかし、自分の仕事を受け継いで欲しいという思いから男の子を切望。房子は3人目を身ごもった。その子が産声をあげた時、登はがっくりとうなだれた。またも女の子だったのだ