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猫猫先生⇒「方法」と「方法論」 - 猫を償うに猫をもってせよ 『新ゴー宣』で、天皇を本気で神だと信じていたのは、大東亜戦争時分に子供だった「小国民世代」だけだと書いてあった。これは興味深い指摘だ。同じように、明治43年までの日本人は、それほど天皇を崇拝すべき、畏怖すべき存在だとは思っていなかったのである。 これは私の父(大正生まれ最後)の世代に人には当たり前のことだった。普通に「天ちゃん」とか言っていた。普通に、「あ、そう」とかギャグ飛ばしていた。「なるたん憲法」なんていう言葉もそのころの名残かもしれない。さらに普通に大正天皇は民衆から変に思われていた。 このあたり、しかし嘆息したのは、「大東亜戦争時分に子供だった」吉本隆明かな。彼は学生時代、さすがに天皇を神と信じていたわけもないが、現人神というか理念には従っていた。山本七平との対話でもそのあたりがずれまくっていた。 山本七平にしてみれば
2002年に出した(いまではデジタル版が利用可能)『日本型サラリーマンは復活する』(NHK出版)から、雇用の流動化論関連を抜粋(図表は抜かす)。これはAS-AD分析の枠組みで説明しているが、特にその枠組みにこだわらなくても類似の議論は可能である。 雇用流動化論の失敗 さて、構造改革論者の多くは、EPG政策(期待潜在成長率を高める政策)と対になるかたちで、グローバル化・IT化に対応するためにより生産性の高い産業に労働力を移動しやすいように「雇用の流動化」を促進すべきであると説いている。 構造改革主義者の考え方は、典型的には小渕政権下の「経済戦略会議」の最終答申や、小泉政権における経済財政諮問会議が二〇〇一年に提出した「骨太の方針」のなかに具現化している。かれらやエコノミストの一部は「雇用の流動化」が新産業創出に寄与することで景気回復政策として有効であると主張している。 ここで使われている「雇
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