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ブックマーク / sskkyy81.blog4.fc2.com (13)

  • お昼のTVに黒い花火が打ち上がった日 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    1年以上前になるが、テレビのキーワード自動録画で「千原ジュニア」と登録していたところ 我が目を疑うような番組が放り込まれていた。 それは2008年に放送された「千原兄弟の夜明け」(テレビ東京)という番組で 土曜のお昼という普段なら絶対に見逃していた時間帯での放送であった。 これを視聴してからだいぶ月日が経ったのだが、google検索してみても 未だこの番組の衝撃度を語った視聴者の声は見受けられない。 テレビ東京がお昼に打ち上げたドス黒い花火を後世に残さねばという使命感を感じた。 番組冒頭で収録直後と見られる千原兄弟がこう切り出すところからスタートする 「みなさま・・昼下がり・・いかがお過ごしですか? 苦情とかたくさんあると思いますが、全て小沢仁志が持ちますんで」 この番組は無趣味なジュニアにキャンプの素晴らしさを哀川翔流の ちょっとワイルドなテイストで味わってもらおうという趣旨である。 実

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    kiku72 2010/04/24
    2008年の放送とは思えない番組の話
  • 奴は死ぬまで保留する ■80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

    「カイジ」「アカギ」などで数々の名言を生み出した福伸行先生がTV出演した際、 先生は数多くの名言の中から「アカギ」に出てくる以下の言葉を紹介した。 いろいろと考えさせられる名言なので、先生の発言を引用させてもらいながら、 自分なりの解釈を書いてみたいと思います。 <概要> 麻雀でヤクザとの代打ち対決にて常に決断を先送りする事で勝とうとする相手に対し、こう言い捨てて去って行った 「奴は死ぬまで保留する・・」 <榎先生の発言> 福氏「みんな今保留してるんですよ、色んな事を。モラトリアム(注)とかいうのは保留でしょ?学校出たけど働かないどうのこうのって、ニートってのも今保留でしょ。で、結婚をなかなか決められない男の子女の子っているでしょ、保留でしょ。つまりね、じゃ手切るかって言うと切らないわけ。切らないけど保留するのよ。 例えば、いつか俺会社辞めて脱サラするんだとか思ってる人も、言うなら保

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    kiku72 2009/05/28
  • フライデー襲撃事件の本当の恐怖 ■80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

    フライデー襲撃事件 1986年12月9日未明、 ビートたけしが当時交際中の女性に対する記者の取材ぶりに怒り、写真週刊誌『フライデー』出版元の講談社を襲撃した事件である。 たけしに懲役6ヶ月、執行猶予2年の有罪判決が出た事でもわかる通り、人気絶頂の芸能人が集団で暴行で逮捕されるという芸能史に残る衝撃的な事件だったといえる。 一方、講談社側の取材にもかなり問題があり、当時の世論はたけし同情する声も多くみられた。近年はそのまんま東がエレベーター最後に乗り込んだ事で結果先陣を切るハメになったなどお笑いエピソードとして繰り返し話され、20年という月日がこの事件を軟化させている傾向がある。 もう今となっては軍団の一種のパフォーマンスだったのでは?との声さえあがるほど風化している感があるがそれを覆す、 この事件当の恐ろしさを知る、公に出来ないであろうエピソード話があるのだ。 まず最初に言っておかねば

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    kiku72 2008/04/06
  • 小室哲哉 ×岡村靖幸  対談 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    先日、NEWS23で「覚せい剤との決別…歌手・岡村靖幸の生きる道」が放送された。 彼のメディア登場は尾崎が夜ヒットに出た時のような、なんともいえない気持ちで見守った。 尾崎がもし生きていたら・・と、思うと彼の不器用な生き方で世の中に順応できたとは想像しがたく、 今の岡村のその姿だったかとダブッて見えてしまう。 その質を知ろうとすればするほど、わからなくなる男 岡村靖幸。 そこで私のVHSに眠る岡村靖幸のメディア出演の一部を文字起こしてみる事にした。 それは1995年~1998年 フジテレビで放映された深夜音楽番組。 TK MUSIC CLAMPに出演した際のものである。 小室さんがパーソナリティーとなり、小室ファミリーはもちろん、異色の顔触れも多くみられた。その中でも対談リクエストが一番多かったのが、岡村靖幸であったという。 この対談を私は複数回観ているのだが、わざわざ紹介するようなネタ

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    kiku72 2007/10/25
  • プレイバック 1993年 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    1993年 年間TOP10 1位 CHAGE&ASKA:『YAH YAH YAH/夢の番人』 2位 B'z:『愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない』 3位 THE 虎舞竜:『ロード』 4位 サザンオールスターズ:『エロティカ・セブン EROTICA SEVEN』 5位 B'z:『裸足の女神』 6位 ZARD:『負けないで』 7位 WANDS:『時の扉』 8位 松任谷由実:『真夏の夜の夢』 9位 ZARD:『揺れる想い』 10位 中山美穂&WANDS:『世界中の誰よりきっと』 ビーイングが台頭してきたこの年の音楽を、素人である私の視点(偏見)で振り返ってみます。 氷室京介 「KISS ME」 「クリスマスキャロルの頃には」が、ドラマ主題歌もあってヒットチャート1位をしばらく独走していた時期があった。稲垣潤一は嫌いではないのだが、どうもこのメロディが好きになれず、クリスマスシーズンに街

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    kiku72 2007/05/29
  • 吉本天然素材にみる芸人のジレンマ ■80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

    先日開催された吉の芸人が勢揃いする「LIVE STAND 07」に行ってきました。開催前、チケットがあまりに売れてないと言うのでガラガラの会場を冷やかす目的でチケットを購入しました。 いやいや・・ウソつきました。 発売日初日に飛びつくように購入し、人気のチケットを取れたと興奮していたのですが、後に発売日初日にたった2枚しか売れなかったという衝撃的なニュースが全国に流れた時、もしかしてそれはオレの事では・・ と嫌な汗をかきました。 さてさて、私の行った2日目は出る芸人も一番人気があったのか、前評判とは別にとても混雑していました。3つの会場で同時に進行されるこのLIVEは、当然観客の動きで人気芸人の度合いがわかってしまうというある意味過酷なものであった。メイン会場ではトップバッターがタカトシで、キングコングへと変わり、3番目に私のお目当てでもあったケンドーコバヤシが出てきた。吉のお偉いさん

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    kiku72 2007/05/02
  • バンドブーム時代の音楽雑誌 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    80年後半から90年代前半 バンドブームが世に起きた。 ネットが普及してないこの時代、彼らの事を深く知る手段は音楽雑誌であった。 音楽雑誌といってもそれぞれが特化したジャンルを持ち独自色を競い、バラエティに富んでいたと思う。 さて、この時代の主な音楽雑誌といえば何があっただろうか・・? PATi PATi 表紙に書かれる独特なPATiPATiフォント(勝手に命名)が特徴的で、雑誌としてのインパクトも高かったと思われる。特徴としては他誌より判型が大きく、アーティストの写真もモノクロが主だったこれまでの傾向を一新し、カラーのイメージショットを巻頭から何ページも掲載されていた。 WHAT'S IN? 主にリリース情報が主な総合情報誌といえる。CBSソニー出版故にソニー系のアーティスト(バービーボーイズ、渡辺美里、大江千里、TM NETWORK,佐野元春など)の掲載率が高かった。表紙に写真を使わず

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    kiku72 2007/03/13
  • M-1グランプリの黒歴史 ■80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

    M-1グランプリ この大会でメジャーを駆け上がっていった芸人は数知れず、今やお笑い賞レースの最高峰と呼べるものまでになった。 島田紳助の提案から過去6回行われてきているこの大会も、インフラ設備が確立していない初年度からの数年は、手探り状態で運営が行われていた。特に初年度の2001年大会は、優勝した中川家以外、全員公開惨殺ショーとなったともいえる。 その処刑人は一人一点を与えられた、札幌・大阪・福岡の吉興業の劇場に集まった各100人の一般客であった。 トップバッターが中川家という事もあり、一般客の点も200点前後(300点満点)の無難な点で推移していた。 しかし、この空気をDonDokoDonが一変させる事となる。 山口のモノマネを駆使したネタで会場では笑いも起きたが、一般審査員の点が出た時、彼らは凍りつく事となった。 (札幌:47 大阪:18 福岡:29) 合計94点 特に低かった大阪

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    kiku72 2007/03/12
  • バブル景気を指をくわえて見ていた世代 ■80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

    バブル景気とは、1986年12月から1991年2月までの4年3か月間を指すのが通説となっている。 日経平均株価は1989年(12月29日)に最高値38,915円87銭を付けたのをピークに下落に転じた。 バブル景気がピークだったと言われる1989年~1990年頃、皆さんは何をしている時でしたか? 私は思春期ど真ん中の中学2~3年生の頃でした。タクシーつかまらないとか大卒1年目でボーナス100万やらアッシー君にジュリアナ・・・いろいろ耳には入ってくるのですが、実際に何も体感してません。時代が過ぎてあの時代はバブル(泡)だったねと言われる訳で、その当時に今がバブルだと思っている人は当たり前ですがいません。その為、当時の私は今見ている大人たちの姿が将来の自分達の姿だと思っていたのです。それがこの世代の悲劇の始まりだった様に思います。この時代(1989年頃)我々は何を見てきたのか振り返ってみたいと思

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    kiku72 2006/09/01
  • シュプレヒコールの波 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    金八先生第2シリーズ(1981年放送)の 「卒業式前の暴力」の回 腐ったミカンの方程式で覚えている方も多いと思います。 個人的にドラマを観て鳥肌がたったのはこの放送が最初で最後でした。 この当時はまだ小学生で生徒目線でしか物を見ることが出来ず、それでも何かわからず涙したものです。今大人になって金八先生目線で見るとまた当時と違う部分で感銘を受ける部分があります。よく考えれば坂金八(武田鉄矢)はこの撮影当時30歳で、今の私と年齢が近いことに驚きました。 <簡単なあらすじ> 荒谷二中の番長で学校を追い出された加藤勝は、桜中学の金八先生のクラスに転入してきた。卒業間近、就職も無事決まり後は卒業を待つだけの時期に荒谷二中の不良たちが卒業式をぶちこわす計画を立てている事を知る。仲間を無事卒業させてやりたいと願う加藤はそれを阻止すべく、校長達の謝罪を言わす事が防止に繋がると考え、松浦と一緒に荒谷二中に

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    kiku72 2006/08/26
  • 坂本金八の名言 と 武田鉄矢の迷言 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    <坂金八の名言> ↑ ↑ 人という字は互いに支えあってヒトとなる ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ 何でも謝って済むことではないけれど 謝れない人間は最低だ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ 正しいという字は「一つ」「止まる」と書きます。「どうか一つ止まって判断できる人になって下さい ↑ ↑ ↑ 大きな志を持つ者は小さな屈辱に耐えよ、耐えられるはずだ。 ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ 人は悲しみが多いほど 人には優しくできるのだから ↑ 信じられぬと嘆くよりも人を信じて傷つくほうがいい ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ 教師とは、時に大ウソつきになります。 ↑ ↑ ↑ 人生は勝ち負けじゃない 負けたって言わない人が勝ちなのよ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ 後になって悔しがっても始まらない。後悔とはそういう言葉だ ↑ ↑ ↑ 死ぬことに意味を持つな。生きるんだ! ↑ ↑ ↑ ↑ 思いやる心というのは、心に余裕がないと生まれにくい ↑ ↑ ↑ ↑

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    kiku72 2006/08/26
  • ガチンコファイトクラブを検証 ■80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

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    kiku72 2006/08/26
  • 80年代の懐かし画像集 ■80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

    80's キーワード検索でヒットしてたまたまお邪魔しましたが・・・ すごい!このラインナップ!! 懐かしいやら、なんだか笑えるやら。 もはや感動的ですね。 「巨大迷路」って流行りましたよね~。 思わぬタイムスリップができ楽しかったです。

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    kiku72 2006/08/20
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