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ブックマーク / note.com/nhk_syuzai (24)

  • 「入ったら15秒で死ぬビルがある」などといわれるのに「日本よりここがいい」と家族が話すヨハネスブルクで支局長が見た南ア社会の深い断絶|NHK取材ノート

    「入ったら15秒で死ぬビルがある」などといわれるのに「日よりここがいい」と家族が話すヨハネスブルクで支局長が見た南ア社会の深い断絶 おととし(2022年)の末から南アフリカのヨハネスブルクに駐在している。去年からはとふたりの子どもたちも日から合流した。 ネットで「ヨハネスブルク 治安」などと検索すると、「世界一治安が悪い」「最恐都市」「入ったら15秒で死ぬビルがある」などと物騒なタイトルの記事が表示される。確かに治安がよいとはとても言えないから正直、家族を呼ぶことはためらった。 それが今ではも子どもも「日に帰りたくない。ずっとヨハネスブルクがいい」などと話すほどになじんでいる。 そこに、ヨハネスブルクが抱える巨大な矛盾があるのだけど。 いつかはアフリカに先月(2月)11日、私は西アフリカのブルキナファソの首都・ワガドゥグに向かっていた。ウクライナへの軍事侵攻を続けるロシアがアフリ

    「入ったら15秒で死ぬビルがある」などといわれるのに「日本よりここがいい」と家族が話すヨハネスブルクで支局長が見た南ア社会の深い断絶|NHK取材ノート
    kiku72
    kiku72 2024/03/16
  • 「東日本大震災を思い出してください!」その時、ことばで命を守れるか。NHKアナウンサーたちの10年|NHK取材ノート

    「東日大震災を思い出してください!」 「命を守るため、一刻も早く逃げてください!」 「周りの人にも避難を呼びかけながら逃げてください!」 平日の午後、東京・渋谷のNHKのニューススタジオに、この日もアナウンサーの緊迫した声が響きました。 地震と津波が発生したことを想定した緊急報道訓練。大津波警報や津波警報などさまざまな想定で、頻繁に行われています。 この日もアナウンサーは、目の前のモニターに次々に表示される地震や津波のデータを読み上げながら、とるべき行動や注意点などを呼びかけていきます。 災害の危険が迫っているときに、NHKのアナウンサーがスタジオからみなさんに呼びかける、 「一刻も早く逃げてください!」 「川の近くには近づかないでください!」 といったことばのもとになるハンドブックがこちら。 「命を守る呼びかけ」という冊子です。 地震や津波、豪雨などさまざまな災害に対応した100以上の

    「東日本大震災を思い出してください!」その時、ことばで命を守れるか。NHKアナウンサーたちの10年|NHK取材ノート
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    kiku72 2024/01/01
  • 「スティーブ・ジョブズ1.0」の真実(後編)|NHK取材ノート

    ジョブズよ、なぜ、語ってくれていなかったのか・・・ ジョブズは、2011年に亡くなっている。私が取材してきた「新版画」とのつながりについて、人が直接話したり、書き残したりしたものは見つかっていなかった。 「ジョブズが直接、新版画に言及しているカギカッコがないことが最大の弱点でしたね」 これは、英語番組を一緒に制作した同僚の言葉だった。マッキントッシュの開発チームのメンバーやアップル社の幹部でさえ、誰も知らない。そう思わざるをえないほど、新版画とジョブズとのつながりは極めてプライベートで、ベールに包まれていた。 けれど、“状況証拠”はある。ならば、それを積み上げていくしかない。アメリカ取材に必ず行く。ビル・フェルナンデスさんがいるニューメキシコ州のアルバカーキがロケの最終目的地だ。50分の日語番組は、きっとできる。 前年のリポートから番組まで一緒に仕事をしてきた荒木真登あらきまさとディレ

    「スティーブ・ジョブズ1.0」の真実(後編)|NHK取材ノート
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    kiku72 2023/10/05
    “ジョブズは、2011年に亡くなっている。”
  • 「スティーブ・ジョブズ1.0」の真実(中編)|NHK取材ノート

    やりたいことがあっても、 壁にぶつかり、突き返されてしまう。 そんな悩みを抱えたことは、誰しも、一度や二度ではないと思う。 記者歴30年超の私もしかり。2015年から4年かけて調べていた、スティーブ・ジョブズと「新版画しんはんが」との結びつきについて、アメリカ取材を目指して番組提案をするも、採用されなかった。 しかも、次なる機会をうかがっているうちに、世界はコロナ禍に突入。齢よわい五十六。定年まであと3年半、もう残された時間は多くない。でも、あきらめてたまるもんですか。 前編はこちら アップル初期のメンバーも知らない2020年3月11日、WHO・世界保健機関は世界のコロナ感染症の流行を「パンデミック」と認定。ニュースもコロナ関連一色になりつつあった。アメリカ取材に行ける状況ではなかったが、何もしないわけにはいかなかった。 関係者の連絡先を見つけては、「ジョブズ」と「新版画」との結びつきを問

    「スティーブ・ジョブズ1.0」の真実(中編)|NHK取材ノート
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    kiku72 2023/10/05
    読み応えあった
  • 仕事と家庭の両立で私が心がけている「先のことは考えない」「中途半端のススメ」|NHK取材ノート

    「同じ場所に何年もいて、よくモチベーションが保てますね!私には絶対無理です」とおっしゃる方もいます。 でも私の場合は 「あれをやりたい、これもやりたい」 「これはやらなきゃいけないのに、できていない」 常にネタに追いかけられていて、モチベーションの下がるヒマなんてありません。 毎年、自分の「プチテーマ」を設けることも、モチベーションが下がらない理由の1つかもしれません。 例えばことしは「琉球舞踊」を取材しよう、ことしは「しまくとぅば(沖縄に伝わる各地のことば)」、ことしは「沖縄民謡」とか。 昔、あるデスクに「長くいるのに、そんなことも知らないの?」と言われたことがきっかけかも。 苦手な分野からプチテーマを設定して、その分野でお知恵をいただける人と知り会えるのが楽しいですし、苦手な科目が毎年ひとつひとつ減っていくのも、自己満足かもしれませんがちょっとした達成感があります。 後編ではそんなちょ

    仕事と家庭の両立で私が心がけている「先のことは考えない」「中途半端のススメ」|NHK取材ノート
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    kiku72 2023/06/24
  • 「美談にしないでね」ぼくの母校は震災遺構|NHK取材ノート

    「美談にしないでね」 ことし1月、母校で開かれた同窓会で、同級生たちから言われた言葉だ。 12年前のあの日、ぼくの母校は津波に襲われ、地域で多くの人が亡くなった。 そして、ぼくと家族はすぐに県外へ移った。 「ぼくは被災者なのか」 「あの日のことを伝えていいのだろうか」 記者として、ひとりの人間として、ずっと考えながら生きてきた。 あの日ぼくらはこの学校にいた石巻市立門脇小学校。「門小」の名前で親しまれていた、ぼくの母校だ。市内でも歴史ある小学校として知られ、かつてはおよそ300人の児童が通っていた。 しかし、東日大震災で津波に襲われ、その後、児童数の減少によって閉校に。津波の痕跡を大きく残す校舎は、保存と整備を経て、去年4月から震災遺構として一般公開されている。 焼けた教室の壁。骨組みだけになった机やいす。 真っ白だった校舎は黒く変色している。 でも、確かにあの日、ぼくらはこの学校にいた

    「美談にしないでね」ぼくの母校は震災遺構|NHK取材ノート
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    kiku72 2023/03/26
  • 神戸の映像はまだか!阪神・淡路大震災 空白の時間帯に現場で起きていたこと|NHK取材ノート

    「ご覧いただいている映像は、地震が起きたときの神戸放送局の放送部の様子です」 画面全体が激しく揺れている。机も椅子も棚も波打つようにスライドしていく。 「大きな揺れが繰り返し襲っているようです。いろいろなものが棚から落ちたり机から落ちたりしています」 放送局の泊まり当番で仮眠中の記者に向かって棚が倒れてくる。 記者が間一髪に飛び起きると、次の瞬間、周りが真っ暗になる。停電だ。 直後、記者は電話へと飛びついた。 1995年1月17日午前7時に放送された、朝の全国ニュース「おはよう日」。 震度7を観測した阪神・淡路大震災の揺れのすさまじさが初めてテレビで全国に伝えられた瞬間だった。 地震発生からすでに1時間あまりが経っていた。あの日、いったい現場で何が起きていたのだろうか。 錯綜する情報 混乱する現場午前5時46分。阪神・淡路大震災が発生。 NHK大阪放送局がテレビとラジオで放送を開始した

    神戸の映像はまだか!阪神・淡路大震災 空白の時間帯に現場で起きていたこと|NHK取材ノート
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    kiku72 2023/01/17
    “1995年1月17日午前7時に放送された、朝の全国ニュース「おはよう日本」。”
  • 「被災者の方からお話を聞かれていましたが、どう感じましたか?」と言われても・・・|NHK取材ノート

    「被災者の方からお話を聞かれていましたが、どう感じましたか」 大学生だった私に記者から繰り返し投げかけられた言葉です。 何と答えていいか分からず、どう答えたかもよく覚えていません。 大学1年生の時から、阪神・淡路大震災の追悼行事「1.17のつどい」にボランティアとして参加していた私。 毎年、取材で、同じような質問に何度も何度も答えるたびに・・・ 「私たちは何のためにやってるんだっけ…?」 もやもやした感覚を抱いていました。 そんな私は、今年、取材する立場として阪神・淡路大震災と向き合うことになりました。 「撮影を手伝ってほしい」私、三砂安純が生まれたのは1998年。兵庫県で生まれましたが、阪神・淡路大震災が発生した当時はまだ、母のお腹の中にもいませんでした。 震災の知識といえば、小学校の時に見た映像が恐ろしくて、見るのが嫌だったなあという程度。 そんな私が震災と向き合うきっかけとなったのは

    「被災者の方からお話を聞かれていましたが、どう感じましたか?」と言われても・・・|NHK取材ノート
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    kiku72 2023/01/14
  • 「沖縄に雪が降る?!」50年前に広まったうわさ話の真相追いかけたら"おばあ"にたどりつきました|NHK取材ノート

    「沖縄が日に戻ったら雪が降る!」 これ実際に今から50年前、沖縄がまだアメリカ統治下だったころに広まったうわさ話です。 SNSのない時代に、 どうしてこんな突拍子もないうわさ話が広まったのか? いったい誰が広めたのか? ふだんの取材では”ライバルどうし”の「NHK」と「沖縄タイムス」が今回はタッグを組んで、うわさの真相を追いかけました。 どうしてタッグを?うわさの真相を追いかけることになった経緯を、はじめにちょっと説明させてください。 沖縄は戦後27年の間、アメリカの統治下に置かれていました。 ことし5月15日で、アメリカの統治下から日に復帰して50年の節目を迎えます。 「日復帰」は沖縄の歴史上、まさに大転換期といえるものでした。 当時を知らない人はなかなか想像しにくいかもしれませんが、復帰前の沖縄では、通貨はドルで、車は右側通行だったんです。 復帰後、銀行ではドルから円の切り替え作

    「沖縄に雪が降る?!」50年前に広まったうわさ話の真相追いかけたら"おばあ"にたどりつきました|NHK取材ノート
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    kiku72 2022/05/14
    プリンスの曲みたいですね
  • ガラケーしか使えないデジタル音痴だった私が「GISでデータ分析」できるようになるまでの話|NHK取材ノート

    東京の多摩川沿いの浸水リスクがある地域で、「なぜか人口が増えている」ことをデータ分析ソフトを使って明らかにして、その背景を探りました。 次にこんな記事も書きました。 南海トラフ巨大地震によって津波の浸水が想定されている区域で、高齢者の施設がすごく増えていることを示した記事です。 どちらの記事も、誰もが入手できる「オープンデータ」と、後述する「GIS」という分析システムを使って隠れた事実を浮き彫りにした、データジャーナリズムのお手などと紹介されたこともあります。 そしてつい最近手がけたのがNHKスペシャル「〝津波浸水域〟の高齢者施設」。蓄積してきた分析のノウハウを注ぎ込んだ番組です。 「データ分析」というと専門的で、すごく難しく思う方もいるかもしれません。しかし最初に述べたように私は数年前までは、パソコンを満足に使えない、データ分析とは無縁の「ガラケー記者」だったのです。当に。 そんな私

    ガラケーしか使えないデジタル音痴だった私が「GISでデータ分析」できるようになるまでの話|NHK取材ノート
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    kiku72 2022/03/16
    “2010年にNHKの記者になると”
  • 震災のことは知らなかった私 いま、石巻にいます|NHK取材ノート

    東日大震災の発生当時、私は中学2年生。先輩たちの卒業式の前日で、予行演習をして自宅に帰ったと思う… というのも私は、11年前のその時のことを今、はっきりと覚えていない。 それから7年後。私はNHKの記者に内定。 今は大きな被害が出た宮城県石巻市を拠点に取材を続けている。 「被災地を伝える役目です」東日大震災の時、私が住んでいた兵庫県加古川市は震度2だった。テレビに映る光景は、行ったことのない遠い場所で起こった出来事で「大変だな」とは思ったが、中学生だった私は自分ごととしては捉えていなかった。 その後、大学を卒業するまで、ずっと関西で過ごした。 マイノリティーの人たちにも生きやすい社会つくりたい。そう思って記者を志望し、NHKに内定した。 配属発表で告げられたのは「仙台」 「震災から10年目の被災地を伝える役目です」 人事担当者からはそう言われた。 しかし、私は何かを伝えるには被災地のこ

    震災のことは知らなかった私 いま、石巻にいます|NHK取材ノート
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    kiku72 2022/03/10
  • 「土葬はダメ?」海外取材に憧れた私が大分でお墓にこだわる理由、それは一人のムスリムとの出会いだった|NHK取材ノート

    彼は我が子を乗せて、一心不乱に車を走らせていた。 自宅の福岡を出発したのは深夜遅く。かれこれ14時間以上運転し、ようやく目的地のある山梨県に入った。走行距離はすでに1000キロを超え、疲労も限界に近い。 だが、つてをたどってようやく見つけたのだ。一刻も早くたどり着かなければならない。 「これでやっと、お別れができるね」 運ばれたのは、新たに家族に加わるはずだった小さな命。せめて安らかに埋葬したい。ただそのささやかな行為までが遠かった。 「亡くなった家族や仲間を、安心して葬れる場所がない」 こうした事態に直面している人たちがいると、私が知ったのは4年前。海外特派員に憧れて記者になった当時24歳の私は、ある人との出会い以来ずっと今日まで「お墓」について考え続けている。 遠くの国に憧れてこの話を始める前に、少し昔の話をさせて欲しい。 私は小さいころから、遠い、知らない国に憧れていた。 小学1年生

    「土葬はダメ?」海外取材に憧れた私が大分でお墓にこだわる理由、それは一人のムスリムとの出会いだった|NHK取材ノート
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    kiku72 2022/02/21
    “(はじめまして、私の名前は大室奈津美です。 NHK大分放送局で記者として働いています)”大分にもムスリムのコミュニティがあるんだねえ
  • 【今の香港で起きていること⑦】「何をしても親中派が勝つ選挙」それは”儀式”なのか|NHK取材ノート

    で衆議院選挙が行われた10月末。香港では選挙戦がスタートした。議会にあたる「立法会」の議員選挙に向けて、立候補の受付が始まったのだ。 まったく違う選挙選挙は去年9月に行われるはずだったが新型コロナを理由に1年延期され、その間にまったく新しい選挙制度が、中国の主導で定められていた。 定数90に対して立候補したのは153人(立候補の条件に満たず1人失格)。 街なかにはさっそく候補者の顔写真が刷られた横断幕が張られ始めたが、選挙戦が盛り上がっているとは言いがたかった。 誰もが選挙のことを興奮気味に話題にしていた2年前の区議会議員選挙とは明らかに雰囲気が異なり、私の周辺で「選挙に行く」という人は、親中派支持を明言している人以外にはいなかった。 多くの人の反応はこうだ。 何の意味があるの。結果は見えているでしょ。 日で投票に行かなかった人たちも同じように言うかもしれない。 「自分の一票で何が変

    【今の香港で起きていること⑦】「何をしても親中派が勝つ選挙」それは”儀式”なのか|NHK取材ノート
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    kiku72 2021/12/21
    NHK、シーチンピン政権批判報道はちゃんとするのに自国となると政治マガジンなヌルさに
  • 【今の香港で起きていること⑥】”愛国者”しか議員になれない あの民主化の熱狂からたった2年で|NHK取材ノート

    7月初めに香港の複数のメディアが「約230人の区議会議員の資格が剥奪され、議員報酬の返還を求められる」と伝えた。 香港ではことし5月に中国政府の主導で選挙制度が見直され、中国の言う「愛国者」しか選挙には参加できないことになった。そしてすでに議員になっている人たちにも、政府に忠誠を尽くすよう宣誓が求められることになった。 「破産してしまう…」もし宣誓に反する行為があれば議員の資格が剥奪されて、刑事罰に問われる可能性もある。 政府からの正式な説明がないまま「これまで受け取った1年半分の報酬の返還を求められたら、破産してしまう」という不安が議員の間に一気に広がり、そして辞職の雪崩が起きた。 辞職した区議会議員は、あっという間に約270人にのぼった。いずれも2019年の選挙で選ばれた民主派の人たちだ。 大規模な抗議活動の中で頂点に達していた政府不信は民主派の圧勝をもたらし、18の区議会であわせて全

    【今の香港で起きていること⑥】”愛国者”しか議員になれない あの民主化の熱狂からたった2年で|NHK取材ノート
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    kiku72 2021/12/15
    “ NHK取材ノート”
  • 【今の香港で起きていること⑤】多くの市民から「ありがとう」と言われた新聞があった|NHK取材ノート

    6月23日夕方、私は、土砂降りの雨の中を工業団地の中にある「リンゴ日報」の社に向かっていた。 “国家の安全に危害を加えた”とされた新聞「リンゴ日報」は、その前の週に編集長などが次々に香港国家安全維持法に違反した疑いで逮捕され、資金が凍結されていた。 警察に連行されるリンゴ日報の編集幹部ら(2021年6月17日)これまでも創業者や幹部が詐欺などの疑いで逮捕されたことがあったが、今回の容疑は言ってみれば「紙面そのもの」に対して。 警察の発表によると「2019年から30回以上にわたって、記事などを通じて国家の安全に危害を加えた疑いがある」というのだ。 書いた記事が「国家の安全に危害を加えた」とされるなんて、記者にとって衝撃的だった。 そして続けざまに論説などを書いてきた「主筆」が逮捕されるに至って、「リンゴ日報」は慌ただしく発行停止を発表した。日暮れ前に私が社に着くともうすでに大勢の人が集ま

    【今の香港で起きていること⑤】多くの市民から「ありがとう」と言われた新聞があった|NHK取材ノート
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    kiku72 2021/12/07
    リンゴ日報
  • 【今の香港で起きていること④】「大好きな香港」を捨てて旅立つ彼女を見送り涙が止まらなかった私|NHK取材ノート

    香港では「どこに移住するのがいいか」という話題で持ちきりだ。初めて会った人に「日移住するのはどうすればよいか」と尋ねられることも珍しくない。 「普通の人」が話すのを怖がる香港から海外への移住で必要となることの多い「無犯罪証明」という公的な証明書を取り寄せた人の数は、この1年間で3万4000人。抗議活動が起きる前の、2018年ごろの1.5倍だ。 香港中文大学が2020年10月に18歳以上の市民737人を対象に行った調査では、「機会があれば海外移住したい」と答えた人は4割を超えた。 2020年6月に国家安全維持法が施行されて以降、「引き続き海外から声を上げ続けるため」「警察の摘発のリスクを避けるため」などという理由で、民主活動家や政治家、作家やコメンテーターまでが次々と香港を離れていった。連日「誰々がイギリスに渡った」といった記事が紙面を賑わせるようになった。 混み合うイギリス行き航空便

    【今の香港で起きていること④】「大好きな香港」を捨てて旅立つ彼女を見送り涙が止まらなかった私|NHK取材ノート
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    kiku72 2021/11/30
    “取材を受けてくれる「主人公」はなかなか見つからなかった。多くの人の反応はこうだ。「今の香港で何か言うのは危険。わかるでしょ?」”
  • 【今の香港で起きていること③】裁判という舞台で共に闘う“共演者”たち|NHK取材ノート

    裁判所から被告たちが護送される車両に向かって多くの若者らがかけより、スマホのライトをかざして「がんばれ!」「仲間よ耐えて!」などと声援を送る。その1人1人は多くの場合が被告の知り合いではない。知らない誰かを応援するために、連日裁判所に通っているのだ。 「ぼくの奥さん、愛しているよ!」私が裁判所に通い始めてまず、傍聴に訪れる人たちの数の多さに驚いた。 裁判所前の長い行列民主活動家らの裁判では一番大きな法廷を使っても入りきらないので隣の部屋やロビーに、モニターによる傍聴席が設けられる。 しかしモニターでは被告席の様子はほとんど見えないから、被告たちがいる法廷では次々に傍聴席を入れ代わる人たちがいる。限られた傍聴券を融通しあって数分ずつ順番に傍聴席に座って、被告たちの姿を確認するとまた席を立って、別の部屋で待機する次の人に券を手渡す。 開廷前の法廷では、被告たちが廷内に入場すると傍聴席から一斉に

    【今の香港で起きていること③】裁判という舞台で共に闘う“共演者”たち|NHK取材ノート
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    kiku72 2021/11/22
  • 【今の香港で起きていること②】蒸し暑い拘置所で彼女は「敗北」をどう受け止めたのか|NHK取材ノート

    多くの市民がスマホをかざして行進したことし6月4日の”無言のデモ“から1週間後、香港で一番大きな西九龍裁判所に、再び鄒幸彤すう・こうとうさんの姿があった。 鄒さんなど「支連会しれんかい(香港市民支援愛国民主運動連合会)」のメンバーは、去年の6月4日にも天安門事件の犠牲者を追悼しようと大勢の市民が集まったことを巡って、無許可の集会を組織した罪などに問われていた。 (前回の記事はこちら) 数十台のカメラが取り囲む中で、鄒さんは訴えた。 鄒幸彤さん 「国家安全維持法が続く限り、当局はそれを使って、人々を黙らせようとするでしょう。でも私たちはその法律と折り合いをつけながら、どうやって民主を実現させていくのか考えなくてはなりません。言ってきたことを言い続け、やってきたことをやり続けるのです」 鄒さんはまったくぶれていなかった。1年前に比べて政府の取り締まりは格段に強まり、鄒さん自身も逮捕を経験してい

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    kiku72 2021/11/16
    “、香港で一番大きな西九龍裁判所に、再び鄒幸彤すう・こうとうさん”
  • ちょっと聞かせてください…!あなたがその指で「攻撃」に加わった理由|NHK取材ノート

    ネットにはときどき極端な意見の人と、それに追随する人たちがいます。私はこれまで「排外主義的な言論」を主張したり、時には行動で訴えたりする人たちについての取材を多く手がけてきました。 例えば4年前、弁護士に全国から13万件もの懲戒請求が送られた問題です。 2018年10月に「クローズアップ現代+」で放送しました。 そしてあいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」の内容を巡って大量の苦情や問い合わせなどの電話、いわゆる“電凸”が寄せられ、展示が一時中止に追い込まれた問題や、慰安婦問題を扱った映画「主戦場」の上映について映画祭がこちらも“電凸”を懸念して一時中止にした問題。 去年はテレビ朝日の情報番組「羽鳥慎一 モーニングショー」のコメンテーターの大谷医師が、PCR検査を巡る発言で炎上して一時出演できなくなった問題も取材し、7月に朝の ニュース番組で放送しました。 どれもこれも、いわゆる「

    ちょっと聞かせてください…!あなたがその指で「攻撃」に加わった理由|NHK取材ノート
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    kiku72 2021/05/29
    “余命3年時事日記”
  • 「医者によって子どもの運命が変わる」日本の医療の現実、娘のため「当事者」になった私は一線を踏み越えた|NHK取材ノート

    記者は取材すべきことを、客観的に見なければならない。だから、当事者は取材に関わるべきではない。そう思い続けてきた。 記者になって10年以上が経過し、その考えが変わったきっかけがある。 わが子が小児がんを患ったことだ。 娘は小学1年生の時に小児脳腫瘍を発症した。彼女の闘病生活、そして同じ病と闘う子どもたちを見て、私は初めてこの国の小児がん医療の現実を知った。 “かかった病院や医師によって、その子の運命が変わってしまう” この現実を何としても変えたいと思った。ただ、当初は患者の父親という「当事者」の自分が取材するべきではないと考えていた。 しかしさまざまな人とのつながりに導かれるように、私はその一線を越えていくことになった。 「事件記者として生きていく」はずだった1993年に記者になった私は、これまでの記者生活のほぼ半分を事件取材に費やしてきた。 初任地の札幌で過ごした5年のうち、4年は警察・

    「医者によって子どもの運命が変わる」日本の医療の現実、娘のため「当事者」になった私は一線を踏み越えた|NHK取材ノート
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    kiku72 2021/05/20