「陽気で明るかった」「教師を目指していた」 昔の同級生や幼なじみに、ふと思いをはせることは誰にでもあると思います。『さとくん』もそんな風に友達に思い出される“普通の若者”でした。そんな彼が、どうして19人を殺害した『植松聖被告』になったのか。法廷で明らかにされた友人たちのことばから、その半生を追っていきます。(障害者殺傷事件取材班) 今から30年前の平成2年1月20日、小学校の教師の父親と、母親のもとに1人の男の子が生まれました。「聖」と書いて「さとし」と名付けられました。 その子はのちに事件の現場となる相模原市緑区の知的障害者施設「津久井やまゆり園」の近くで育ち、幼稚園から中学校まで地元で通いました。 3年半前、19人が殺害され、26人が重軽傷を負った事件の裁判。証人尋問が行われた5回目の審理と、弁護士が同級生や元交際相手などの調書を読み上げた6回目と7回目の審理では、植松被告が事件を起