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ブックマーク / thoughts.asablo.jp (4)

  • 病院通い: 気がつけば82歳

    先日手術後の定期検査をして戴いてその結果を伺ってる最中に胸が痛くなった。 運が良かったのか悪かったのか、暫くして収まったのだけど近くの病院に紹介状を書いて下さって念のための心臓の検査をして貰うことに。 先週に3日通院して結構ハードな検査だった。 その結果が今日、予約は午後の3時半なのに朝から落ち着かない。 30年前くらいに少し悪かった時期が有る。 今でも心電図では過去に狭心症を患った痕跡があるそうだが今更と思っていた。 白内障の手術も後数日だもの何とか無事通過したいと心から祈った。 バスの都合で1時間近く早めに病院に着いた。 病院という所はともかく待つ時間が長い。 家に居ても用事はないのだから別にいいのだけど話し相手も無く 眼が悪いから読書も億劫で不安を抱えながらただ待っていた。 呼ばれたのは結局4時過ぎ、 「結論から言いますと心配ないです」 嬉しかったな。 「良っかったです。有難うござい

  • 繰り言: 気がつけば82歳

    去年から3回入院手術して通算4ヶ月あまり入院生活を送った。 病院の先生、看護師さんはじめ多くの方々と家族に助けられ無事退院出来たがまだ療養中だ。 徐々に快復して来た実感はあるが無理はできない。 週に1度、水回りの清掃と掃除機をかけるのを介護の方にお願いしている。 昨日もその方のキビキビ働かれる様子を見ていて、ああ 私も弱者になったな と沁みじみ感じた。 病気する前は 「年齢なんて気の持ちよう! 身体の衰えは補聴器や車椅子やおしめで補えば済むこと」 なんて傲慢なこと考えていたな。 皆にお世話になったし家族にもイッパイ迷惑かけてしまった。 これから私が皆の為に役立つことが出来るとは思えない。 同世代の知人の中には 「あまり迷惑かけないうちに早く死にたいわ。 生きてたって楽しいことないもの」 そう聞くと私の天の邪鬼が頭をもたげる。 病気して高齢になって自分を弱者だよ自覚したと書いたが、これって一

  • 老いの本を読んで: 気がつけば82歳

    先日買って来た 曾野綾子さんの「老いの才覚」「自分の始末」、 吉隆明さんの「老いの幸福論」 の読後感を書こうと思っているうちに内田百閒先生にハマってしまって延び延びになってしまった。 (最近とみに忘れっぽいから自分の為に書くのである) 「老いの才覚」は漠然と私も考えていたことを明快に歯切れ良く箇条書きになっていて嬉しかった。 信仰の面ではまあ微妙に違うがこれは仕方がない。 「自分の始末」は曽野さんのこれまで執筆された文の中から相応しい箇所をピックアップされた語録の趣きだった。 感銘深い短文なのだが、私はその元になっているを殆ど読んでいないから、どうしてもその背後の全文が知りたくなる。 そういうことは抜きにして示されている言葉だけを熟読玩味すれば教えられることは多い。 「老いの幸福論」 吉隆明さんの文を1册ので読んだのは初めてだった。 です、ます口調で凄く丁寧に噛み砕いて話しかけられ

  • 行方不明の高齢者: 気がつけば82歳

    隣り街に用事があってバス停に行くと友人に会った。一緒に待ってた4〜5人の方達も皆さん同年輩だ。 親しくお喋りしてるから友人に聞くとバス停お仲間だとのこと。 この暑いのに元気だ。 バスの中で、100歳以上の方の行方不明の話題になった。 今朝はテレビで識者が、100歳未満の高齢者も問題だと言ってるのを聞いて他人事ではなくなった感じだ。 なんらかの行政の対策が必要なのは判るし、いろんなケースがあるのだろうが人の首実検の様な事は情けない。 高齢者の外出の主な目的は医院に通う事だ。 私の知人は皆、定期的にホームドクターか病院のお世話になっている。 医療保険でだから関係機関には判っている筈だ。 そういう記録から人生存確認が出来ると思う。 それで確認出来ない人だけを調べて欲しい。 なんてことを話しているうちにバスは目的地についてしまった。 整形医院に行く友人と「またね!」と手を振って別れた。 こうい

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