作品外の短い文章 ここには、以前に雑誌に寄せた、短いエッセイなどを再録してみました。 古雑誌をひっくりかえすかわりに、記録になればと思います。 夢の免罪符 児童文学二世代説 読む女の子たち 一つ余計な壁 夢の免罪符(yume no menzaifu) 第22回 日本児童文学者協会新人賞受賞のことば (日本児童文学 1989 7月号掲載) 大学生のころ読んだ「空へ翔ばす手紙」という題の、マンガ家山田ミネコさんのエッセイが思い出されてなりません。 もう10年近く前のその掲載雑誌(寺山修司氏が存命だったころの「ペーパームーン」)を今のわたしはもっていないので、正確な引用ができないのですが、自分がなぜ作品を描くかについて、これは私の免罪符なのだと語っていました。 「ずっと夢を見つづけていたいので、夢を見つづけて生きることを許してほしいので、私がこういう人間であることをわかってほし
前回、情報を知識として正しく自らに取り入れる為にはバランス感覚と無知を恥じない心が必要だと書いた。今日は何故俺がそういう結論に至ったかを書くことにする。書いてみたらほとんど自分語りの含有率が高めなのでその手のがイヤな人はスルーを推奨。 高校2年生ぐらいまで、俺は政治的な事に関して何も考えていなかった。新聞は読んでいたし無知では無かったが、真剣に向き合い考えた事が無かったのだ。その時は考える必要が無いと思っていたし、特に興味も無かった。しかし世界史を真剣に学んだこと、高3の倫理の授業、この二つをきっかけにイデオロギーについて考えるようになった。受験勉強から逃避する為にこの分野は格好の題材であった。遊んでいるよりかはマシなイメージがあったからだ。勉強してない、ということには変わりがないというのに。ネットで調べ書籍を読み、とにかく様々な情報を集めた。突然難しい本を読む事はできないので、こういった
ブログをはじめて50日が経とうとしている。 私は世の中に向かって叫びたいことが取り立ててあるわけではなく、一人の大人と話すことなく過ごす日があるような、「引きこもり」的生活を送っている「普通の人」だ。 ふとしたきっかけでブログをはじめることになったわけだが、それもリハビリのようなものかも知れない。 大人になるまでの私は「普通の子」ではなかった。人生を+-の座標で表すとしたら、私の10代までは随分と(-)の方に寄っていた。だから、ゼロ地点に立てるよう学校の勉強をした。そうして、色々なものを手に入れた。目に見えるもの、見えないもの。とにかく、人並みに見えるようにはなった。何も知らない人から見れば、私は多くのものを持っているように見えるかもしれない。どんなことも、事も無げにやっているといわれたこともある。しかし、私にとってそれはゼロに戻れただけのことでしかない。世の中が平等になったといっても、自
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