メルの本棚 - 大学院を出たけれど id:merubook:20060312:p1 pêle-mêle - 身につまされる id:yskszk:20060313:p2 大学を卒業して大学院を受験してそのまままっすぐ修士課程に入った。そして、修士論文を提出せずに、退学届を提出した。ほとんど夜逃げのように、大学を黙ってやめて去っていた人間のことを、誰も追いかけてこなかった。 その後に、派遣社員として働き始めて、現在に至る。しかしこれまでに正社員として就職したことはない。 何もかもが中途半端なままに生きてきて、今までどうにか生き延びてきた。回り道の連続を歩いてきたけれど、最近になって、そういう経験も、決して無駄ではなかったのだ、とようやく思えるようになった。それでも、書かなかった、というよりも、書けなかった、未完の修士論文のことを、時々ふと思い出す。思い出しては後悔する。だけど、あのまま大学院に
大学院生というと「まだ学生生活を延長するの?優雅ね〜」なんていう声もたま〜に聞かれるけれど、学部生とは何もかもが全然違う。 一番の違いは必ず何かに「追われている」ということだ。 「読まなきゃいけないもの」は毎日どんどん増えていき 「書かなきゃいけないもの」はどんな時でも頭から離れない それでも僕がやっていけるのは、学問については「追われている」だけではなくて「追っている」ものも多々あるからだ。 そして「追われている」ことに気付くのは「追う」ことをサボってしまっている時だ。 逃げるために走り始めるとすぐに辛くなる。 僕が追っているものは一生かけても追いつけそうにない。 でもその後姿ぐらいは見失わないようにしたい。 そのためならこの追いかけっこを一生続けたってきっと後悔はしないだろう。
Life is beautiful: 一度も会ったことのない恩師: http://satoshi.blogs.com/life/2005/09/post_8.html を読んで、急に書きたくなったので書きます。 それは、数学の難しさについてです。 数学についていけなくなってきたのは、高校のときからでした。 なぜ、高校で数学についていけなくなったのか? それは、数学というものが人工的に組み立てられた世界であるという ことが理解できなかったからです。 数学は、「定義」に基づき世界を構築します。定義から何の前提もなく 正しいとわかる事柄が「公理」と呼ばれます。この定義と公理から、 第三者が理解できないようなジャンプをせずに説明できる事柄が 「定理」です。 これは、数学のどの分野においても成り立ちます。 高校のとき(実は中学校のときも)、私はこの理屈を理解できなかった のです。
1 :1:2006/02/15(水) 15:51:16 ID:t2kpnFxU0 今年の受験生及び、来年度以降の受験生へ 色々な忠告書き込み、忠告コピペをお願いします。 (試験場での注意、高望みするな、受験をなめるな、etc.) 今年度受験に失敗した人も、次の世代の受験生にむけて 自分の体験から何かあればどうぞ。 2 :名無しなのに合格:2006/02/15(水) 15:52:15 ID:pvDf0SI+0 春頃から秋頃にかけて、MARCHを馬鹿にしてた諸君。 受験の厳しさは身にしみてわかったよな? 3ヶ月でMARCHや関関同立に受かるわけないんだよ。 中には要領よく勉強して受かってしまうお利口さんもたくさんいる。 だがそんなのはほんの一部だ。 受験版全体を見渡しても、MARCH以上に合格!よりも日東駒専滑ったという書き込みの方が圧倒的に多い。 これは毎年起こっている。 もうやめようでは
2013年10月21日、大学入試改革を検討している政府の教育再生実行会議により、レベルや目的が異なる「基礎」と「発展」の2段階の試験を設ける「達成度テスト(仮称)」の創設の方針を固めた*1。 高校在学中に複数回受験可能にし、2018年をめどに導入される見通し。
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