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暴力と北海道に関するkiyo_hikoのブックマーク (1)

  • 常紋トンネル - Wikipedia

    1912年(明治45年)3月に湧別線常紋隧道として着工された[1]。常紋という地名は、北見側(旧:留辺蘂町)の常呂郡と遠軽側(旧:生田原町)の紋別郡からつけられたものである[1]。 同じ石北線の石北トンネル(北見峠)同様、人気の全くないこの区間は同線の難所の一つであり、標高約347 m、全長507 mのトンネルを掘るのに36ヶ月を要し、1914年(大正3年)に開通した。 殉職者追悼碑 トンネルは凄惨なタコ部屋労働で建設されたことでも有名である。州から集められた「タコ」とよばれた労働者は、わずかな事と過酷な労働から、1914年10月の工事完了までの間に100人を超える死者を出した[1]。 施工当時、重労働と栄養不足による脚気から労働者は次々と倒れ、倒れた労働者は治療されることもなく暴行を受け、遺体は隧道や現場近くの山林に埋められたといわれる[1]。これについては、山菜取りに来た近隣の

    常紋トンネル - Wikipedia
    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2023/11/19
    "撲殺されたタコ労働者が、見せしめのためにトンネル内に人柱と…話が言い伝えられていたが…拡張工事中に…頭蓋骨に損傷のある人骨が発見され…事実であった…さらに10体の遺体が発見収容" 人間くそだなあ
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