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2011年3月30日のブックマーク (4件)

  • 東日本大震災:海保「救えなくても感謝される…つらい」 - 毎日jp(毎日新聞)

    捜索に当たる海上保安庁の特殊救難隊員ら=岩手県宮古市重茂の石浜地区で2011年3月26日午後、村山豪撮影 「こんな悲しい仕事はない」。東日大震災の行方不明者捜索にあたる海上保安庁特殊救難隊の隊員はこうつぶやいた。映画「海猿」シリーズで注目されたこの隊の最大の任務は人命救助だ。海上保安庁はこれまで被災地全体で324人を救助、76人の遺体を収容した。だが被災から2週間以上が過ぎた今は、生存者の救助だけでなく遺体発見も難しい。「ここまで捜してもらっても見つからないのなら」。行方不明者の家族が気持ちに区切りをつける。そんな役割も担っている。【石戸諭、村山豪】 救難隊員の増井雅和さん(27)が海面で叫ぶ。「車があった。人がいないか確認します」。26日、岩手県宮古市重茂(おもえ)の石浜地区。前日から周辺海域で捜索にあたっていた特殊救難隊員ら4人の捜索チームがこの日、地域住民に頼まれたのは行方不明者が

    kiyolive
    kiyolive 2011/03/30
    「救うため」のはずが「区切りをつけるため」になっている厳しさ。つらい。
  • 東日本大震災:社屋全壊でも新酒完成 気仙沼・男山本店 - 毎日jp(毎日新聞)

    完成したばかりの新酒をチェックする菅原さん=気仙沼市魚町2の男山店で2011年3月28日午後4時59分、茶谷亮撮影 宮城県・気仙沼港近くに社を構えていた酒造会社「男山店」が、東日大震災から停止していた新酒の仕込みを再開し、初めての日酒が完成した。社屋が全壊し、電気や水道も通じないまま再開にこぎつけた。避難所生活を送る社員もいる中、震災後に完成した日酒に、同社は「気仙沼の復興のきっかけになってほしい」と期待を込めている。 同社は大正元(1912)年創業。県産米を使った「伏見男山」などの日酒で知られている。 沿岸部にある社事務所は津波で全壊。濁流は高台にある醸造所にも迫ったが、数メートル手前で止まり、昨秋から仕込みを続けてきた、「もろみ」のタンクも無事だった。 しかし、自宅が全壊したり家族が犠牲になった社員も多い。社長の菅原昭彦さん(49)は今春の再開をあきらめかけた。しかし、

    kiyolive
    kiyolive 2011/03/30
    これはうれしいニュース。陸前高田の酔仙もまた復活してくれることを祈っている。
  • 嫁が作った「ポポポポ~ン弁当」に絶句する夫 | ロケットニュース24

    ACのコマーシャルで有名な「ポポポポ~ン♪」のフレーズ。「おはようなぎ」や「こんにちわに」、「ありがとうさぎ」などの可愛らしい動物たちが登場する、道徳やモラルを教えるためのコマーシャルだ。 とある男性が、嫁が作った「ポポポポ~ン♪」をデザインしたお弁当に絶句。「今日の嫁のべんとうはこれでしたorz」とコメントしている。毎日しつこいくらいに流れているコマーシャルだけに、「ポポポポ~ン♪」が頭から離れないという人もいるはずだ。 ただでさえ頭から離れないのに、お弁当にまで「ポポポポ~ン♪」。この男性にとって、かなり精神的にキツイお弁当のデザインだったかもしれない。しかし、かなり細部にまでこったデザインのお弁当である。奥さんの料理の腕は、なかなかのものだと思われる。 こんな手間のかかるお弁当を作ってくれる奥さんがいるだけで、この男性は幸せといえるかもしれない。どんなお弁当を作られようとも、文句を言

    嫁が作った「ポポポポ~ン弁当」に絶句する夫 | ロケットニュース24
    kiyolive
    kiyolive 2011/03/30
    レベル高すぎ噴いたwwww /ありがとうを、うさぎに込めて
  • 福島県いわき市「スパリゾートハワイアンズ」の奇跡|SPA!の特集記事が読める!!|Web SPA!

    震災当日、休暇をとって家族旅行中だった誌記者は福島県いわき市のスパリゾートハワイアンズで被災。そこで記者が見た、「スパリゾートハワイアンズ」スタッフの「プロフェッショナルな姿勢」とは? 3月11日。運命の日。記者は福島県いわき市にある「スパリゾートハワイアンズ」で被災した。久々にとった有休休暇。家族サービスと称し、と2歳10か月の息子を連れ、無料送迎バスでホテルに到着し、わずか1時間半後の震災だった。知らない土地、さらには水着のままの避難という、非日常的な状況下での悲劇ではあったが、ここで被災したことは不幸中の幸いだったのだと、今にして思う。それも、特上の。 まず、ここはガス、水道、電気という、いわゆるライフラインがすべて生きていた。そのため、さまざまなメディアで報道されている被災地のように、寒さに震えたり、暗闇に怯えたりすることが一切なかった。しかも、料の備蓄があり、東京に帰ること