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ブックマーク / www.newsweekjapan.jp/furuya (2)

  • 「体育座りは体に悪い」という記事でもっと気になったこと

    <時間の無駄で、一部の生徒には苦痛でしかない全校集会という前近代的な風習がまだ残っていた> 5月7日の山陰中央新報の記事が大きな話題になっていた。なんでも、成長期の学童に「体育座り」を半ば強制するのは、骨や筋肉の成長途上であることを考えても、体に悪影響大であるからやめた方が良いのではないか、というものであった。体育座りというのは、最早我々老人は忘却しているが、あの、飛行機に乗るとシートの中に挟んである「緊急姿勢」に似た、両の足を両手で抱え込んで丸まっこく座る、例のあの姿勢のことを指す。健康科学上、このような姿勢が学童にどのような悪影響を与えるかは完全に立証されていないものの、実際に腰痛などを訴える学童が多く、現実的に我々は学校を卒業して体育座りなど一度もやったことがないわけであるから、相当非日常的な座り方である。 しかしながら問題は、体育座りの是非というよりも、まだこんな前近代的な風習が学

    「体育座りは体に悪い」という記事でもっと気になったこと
    kiyotaka_since1974
    kiyotaka_since1974 2022/05/13
    じゃぁ、どうすればいいの?胡坐?
  • 加害と向き合えない小山田圭吾君へ──二度と君の音楽は聴きません。元いじめられっ子からの手紙

    <他人に凄惨な暴行を加え、それを武勇伝のように誇り、ときに非難されながらも「カルチャー」の隠れ蓑に隠れてきた加害者と、それを知りながら許してきた者の罪は大きい> 小山田圭吾氏が東京五輪の作曲陣から辞任を発表した。遅きに失したものの当然の進退決断である。そもそも今次問題を「小山田のいじめ告白問題」などと銘打っている場合があるが、小山田のやったことは当にいじめなのか。全裸強制、自慰強制、糞など、小山田のやったことは「いじめ」などではなく虐待を通り越して単なる犯罪行為である。読んでいて吐き気がした。よく家裁送りにならなかったモノだ。 小山田の告白が掲載された1994年(1月号)のロッキング・オン・ジャパン誌は、刊行年月日から類推するにおそらく1993年に収録されたものであろう。これを以て1)「当時のサブカル誌の潮流の中では当たり前の事だったから致し方ない」2)「雑誌の内容が全て事実であるとは

    加害と向き合えない小山田圭吾君へ──二度と君の音楽は聴きません。元いじめられっ子からの手紙
    kiyotaka_since1974
    kiyotaka_since1974 2021/07/20
    人間はクズでも音楽は素晴らしいってあり得るんじゃない?もちろん自分のいじめの加害者は別。
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