葛藤が労働に支配されれば、もう問題意識はそこにしかなくなる。 《つながり》は労働に支配される。そこに疑問を持てば、集団から排除される*1。 ▼扶養されることすらできなくなった人は生活に必死で、「家にいられる人の葛藤」なんか考えない。――だから、その両者が乖離する。問題意識が、それぞれの領域で閉じてしまう*2。 その問題意識の構造それ自体が、問題を再生産する。 働く人にとっては、不登校や引きこもりが「治療対象」であることなど、どうでもいい。だから80年代の抵抗が親御さんから起こったことは必然であり、それ以外にはあり得なかった。 「親の扶養を受けられる人が治療対象にされることの問題」を考えるのは、その内部にいられる人でしかない。それゆえにこそ、労働問題へのアプローチも硬直する。なぜなら、場所の問題意識に支配される《つながりのあり方》が全く顧みられないから。彼らは、「生活と労働を考えるにはこれし