kiyoto01のブックマーク (15)

  • 問題意識の分断 - Freezing Point

    葛藤が労働に支配されれば、もう問題意識はそこにしかなくなる。 《つながり》は労働に支配される。そこに疑問を持てば、集団から排除される*1。 ▼扶養されることすらできなくなった人は生活に必死で、「家にいられる人の葛藤」なんか考えない。――だから、その両者が乖離する。問題意識が、それぞれの領域で閉じてしまう*2。 その問題意識の構造それ自体が、問題を再生産する。 働く人にとっては、不登校や引きこもりが「治療対象」であることなど、どうでもいい。だから80年代の抵抗が親御さんから起こったことは必然であり、それ以外にはあり得なかった。 「親の扶養を受けられる人が治療対象にされることの問題」を考えるのは、その内部にいられる人でしかない。それゆえにこそ、労働問題へのアプローチも硬直する。なぜなら、場所の問題意識に支配される《つながりのあり方》が全く顧みられないから。彼らは、「生活と労働を考えるにはこれし

    問題意識の分断 - Freezing Point
    kiyoto01
    kiyoto01 2010/12/30
    まさにそのとおりである。ところで、上山さんのこうした問題意識というのは「その問題意識の構造それ自体が、問題を再生産」してはいないのだろうか。おそらく次に問われねばならないのはこの点ではなかろうか。
  • 「fonction décisoire」――創発的な法? - Freezing Point

    ガタリの文章に登場する 《外的な法 loi extérieure / 内的な法 loi intérieure》 という対比(参照)は、 現在のラボルド病院で語られる 《décision / décisoire》 《モル的な法 Molar Law / 創発的な法 Emergent Law》*1 という対比と、 同じもののはずだ。 主観性と中間集団の関係を扱ったジャン・ウリの発言で、いちばん決定的だがどうしても納得できないものを再度引用しておく(参照): 大事なのは、知らないうちにものごとが決まっているという状況なのです。これのことを私は「決定の機能(fonction décisoire)」と呼んでいます。ある一人の人物が偉そうに、自分が決定権をもっている人間だといった形で決定されるのではなく、知らないうちにものごとが決まっていく。そういう決定の機能が非常に必要なことなのです。 (『医療環境を

    「fonction décisoire」――創発的な法? - Freezing Point
    kiyoto01
    kiyoto01 2010/11/06
    たしかに、これこそ核心であろう。「知らないうちにものごとが決まっている」などというのは到底許容できない事態なのだが、ウリもいうように、人間とは、そのようなやり方でしかつながれない、ものなのである。
  • ■ - Freezing Point

    当の問題点を指摘すると、まずはとにかく孤立する*1。 その状況に苛立って、最初の問題意識に固着するとそのまま終わる。 「以前は苦しかった人たち」という語りのポジションは、 これから作ろうとする関係にあるかもしれない問題点や*2、 目の前にある問題含みの関係を 隠蔽する機能をもつ。 仕事の持って行き場を変えなければ。 *1:最初はその話をしていたはずの人たちまで、「ここは踏み込んだらまずい」と尻込みし、思い切った発言をした人がトカゲのしっぽ切りになったり。 *2:仲良くなろうとする時点でどんな暗黙の前提があるのか。 これからチャレンジすべき社会性は、どういう性質のものか。

    ■ - Freezing Point
    kiyoto01
    kiyoto01 2010/10/28
    けれども、おそらく問題は、我々は問題のない関係などというものを希求する権利があるのか、あるいは、その相手と関係することには、困難な再構築の作業を相互に課すほどに価値があるのか、といった点にあるのだ。
  • 惰性が最適解ではないとして - Freezing Point

    「くそまじめをすることで信用を作ろう」・・・・くそまじめしか出来ない奴に柔軟な相談はできない。 「最適解がわからない」という意味で、政治が分からない*1。 駄目な政治家しかいないなら、「誰も選ばない」が解になる、しかしそれでは回らない。 けっきょく惰性でいちばんダメな選択肢を “選んで” いる。 惰性で「それしかできなかった」ことと、意思的選択は見分けがつかない*2。 何が合理的かは、周囲に誰がいるか、自分の主観性がどういう事情にあるかで違う*3。 合理性の解をプレイヤーでそろえてしか計算できないゲーム理論? ひきこもった経験を持つことは、日の環境では信用を失うことに等しい。――主観性がうまくまとめられないことと、「ルールを平気で破る」ことが、他者からは同じに見える。 その人としてはそれが誠実なふるまいだったらしいが、こちらからはバカに見える。 「そういう固執を生きるしかできない」、誰で

    惰性が最適解ではないとして - Freezing Point
    kiyoto01
    kiyoto01 2010/10/21
    そのとおりである。実際にはいまや問題はロジだけなのであって、そこで要求されているのは、安定した再帰的分析メソッド(なんたる語義矛盾!)の確立と個別具体的な行動計画の策定だけである。
  • 各ポジションにおける言説事業と、目の前の関係性 - Freezing Point

    現代思想2010年10月号 特集=臨床現象学 精神医学・リハビリテーション・看護ケア 作者: 木村 敏,村上 靖彦,宮 省三,河 英夫,西村 ユミ,松葉 祥一,熊谷晋一郎,綾屋紗月出版社/メーカー: 青土社発売日: 2010/09/27メディア: ムック購入: 3人 クリック: 19回この商品を含むブログ (10件) を見る 木村敏: メダルト・ボスですが、彼は現存在分析は治療技法だと言うのです。これについては彼と私とで全く意見が合わなかった。私は絶対に治療技法ではないと言ってかなりの議論を交わしたことがありました。 村上靖彦: それは不思議ですね。ビンスヴァンガーからしてちがうと言ってますからね。 木村敏: ビンスヴァンガーとボスは当然意見が合わなかったのです。ビンスヴァンガーに治療はどうしているのかと聞いたら、まだほとんど抗精神病薬のない頃ですから、精神分析をやっているのだと言って

    各ポジションにおける言説事業と、目の前の関係性 - Freezing Point
    kiyoto01
    kiyoto01 2010/10/20
    なるほど、本質的問い、はじまりの問いである。すなわち、我々は救済されるべきか否か。我々とは精神病者であり、ひきこもり当事者である。けれども、救済とはいったいなんのことだったか。。。
  • 正義 と 臨床 - Freezing Point

    『アンチ・オイディプス(上)資主義と分裂症 (河出文庫)』 『千のプラトー 上 ---資主義と分裂症 (河出文庫)』 副題にある「資主義と分裂症」という言葉は、 法哲学・政治思想と精神病理学は、同時に考えざるを得ない 正義と臨床は同じ事業 そういう話でないなら、苦労して読み解く意味がない。 左翼系論者の多くは、「資制と精神医学を批判し、弱者を擁護すればそれが正義」という幼稚な話しかしていない。 論じる自分も関係を生き、《対象的=臨床的》に何かをしてしまっているのに、その実態を分析させず、メタ正義にふんぞり返る。 理論意識を持ちさえすれば、自分の当事者性を棚にあげられると思っている*1。 難しいのは、このモチーフをどう制度的に運営できるか。 「そのつど分析するしかない」というなら、手続きが生まれないで終わる*2。 けっきょく、「普遍化できない分析過程を地道に主張し続けるしかない」とい

    正義 と 臨床 - Freezing Point
    kiyoto01
    kiyoto01 2010/10/16
    なるほど、正義。便益やインセンティヴではなく、正義。そして社会性の最たるものである法と政治とが、内面性(=非社会性)の最たるものである精神(の病理)とまったくシンクロしていなければならないというテーゼ。
  • お互いが 《引き出し屋=監禁屋》 になるのではなく - Freezing Point

    斎藤環氏の引きこもり論は、カフカの「掟の門」から引き出そうとするが(参照)、 門をくぐる前の状態を「ひきこもりシステム」としてメタに描いて終わり、 門をくぐった後の《社会性の帝国》については、単に順応するしかない。 門の前についてもあとについても、実際の関係性を創りだす制作過程を主題にできない。役割もメンタリティも、すでに固定された作法を反復することしか許されていない。(「患者」としておとなしくし、彼と同じ言説パターンを踏襲するしかない。これがマッチポンプになっている。) 医師・学者・役人の引きこもりを支援するために、実際の引きこもり問題が存在することになっている(彼らに業績機会を提供し、仕事のロジックを肯定してあげる)*1。 ひきこもり問題を悪化させる考え方や関係性に同意しなければ、発言が許されない。 この状況全体を “治療” する、そのかたちでの社会復帰が持続すればよい*2。 そういう

    お互いが 《引き出し屋=監禁屋》 になるのではなく - Freezing Point
    kiyoto01
    kiyoto01 2010/10/15
    そう、それはまさに都合がいいことなのだ。問題は、この「ほとんど全員」にとって都合のいいことをなぜ突き崩さなければならないのか、という点ににある。それは本当にひきこもり当事者にとって都合がいいのだろうか
  • 生産力と生産関係の矛盾より、「規範とディテールの矛盾」が常に生じている。 - Freezing Point

    社会生活を持続させる能力は、犯罪を持続させる能力に近い。 「出来心・キレる・利用される」ではダメ。 周到さ・忍耐・自律が要る。 組織的承認のある犯罪には、誰も手をつけたがらない(黙認される)*1。 別の社会性をもって今の社会性に替えることは、現状の環境では犯罪と認知される。 生態学的モチーフとしての承認*2。 罪をおかす能力をもって、居直りに終わるか、状況変革に向かうか。 優等生的メンタリティはプロセスとして硬直し、合成の誤謬を生む。 *1:正しいとされる多くの事業は、よく考えれば犯罪的だ。 *2:「多くの人に承認されているが、承認のされ方が間違っている」ことがある。

    生産力と生産関係の矛盾より、「規範とディテールの矛盾」が常に生じている。 - Freezing Point
    kiyoto01
    kiyoto01 2010/10/11
    既得権益といった言葉。だが問題とは、権益(=中間集団)が悪であるか否かではなく、いかにして権益を獲得し、どのような有様でそれを維持するのかということのはずだ。「ひきこもり」以外の権益のイメージが必要。
  • 「主観性の構成」 と 「中間集団のアレンジ」 - Freezing Point

    人のせい」と「社会のせい」の両極しかない。 こんな発想のままあれこれ論じても、問題のメカニズムに加担したままだ。 当の問題は、主観性と集団のありかたを同時に考えるところにしかない。――つまり問題は、個人だけでも社会だけでもなく、《関係性》にある。 つながりがどういう前提と作法で営まれているか。 「医者だから偉い」とか「当事者に逆らうな」まで含め。 自分がどういう作法を生きているかを誰も主題にせず、業績を挙げたり正義の味方になったりすることしか考えていない。 メタ言説の誇示しあいっこで関係性がマネジメントされる*1。 ふんぞり返ってひきこもり支援を論じながら、身近な関係はひどい――それが当たり前だと思われている*2。 医師や学者は、社会問題を自分の業績のネタにする。 当に必要な問題意識が学界のディシプリンに合わなければ、自分の業績のために “学問” を優先させる*3。 社会性について

    「主観性の構成」 と 「中間集団のアレンジ」 - Freezing Point
    kiyoto01
    kiyoto01 2010/10/10
    社会化の失敗が「つねに」であるのなら、それがゆがんだものでしかないのなら、なぜひきこもりは社会化を志向するのだろう。もしそれが本当に失敗であるのなら、ひきこもりとはむしろ希望ですらあるのではないか。
  • ひきこもりについて、最も重要な論点 - Freezing Point

    「努力すればするほどおかしくなってしまう」という執拗なメカニズムを、内側から扱える議論がない。 専門性をかこつ既存の議論は、主観性の構成という最も重要な論点を扱う能力がない(気づいてすらいない)。 なぜなら彼らには、自らの構成過程を対象化する方法論がないから。 自覚されないままの方法論で自らの業績と関係性を生きることしか出来ていない。 現実が現実であることへの戸惑いは、「自分がうまく構成できない」というかたちをとる*1。 それは気合いや科学主義で単に終わらせればよい葛藤ではなく*2、その「うまく構成できない」というそのこと自体をまず主題化しなければならない――みずからの構成過程に留意しつつ。 《主観性の構成》というテーマにこそ、政治性と実務性が集約される。生活や仕事のルーチン化は「構成過程のパターン化」である。ひきこもり問題の政治性は、主観性の構成過程がどういうスタイルをとるのか、それがど

    ひきこもりについて、最も重要な論点 - Freezing Point
    kiyoto01
    kiyoto01 2010/10/10
    では、それがようするに政治闘争であるとして、問い直されることなく留まるコアのテーゼとはなんなのだろう。「ひきこもり」という実存様式なのか。それとも「中間集団の多様性と対話による微温的併存」のほうなのか
  • 特異的な専門性 - Freezing Point

    社会的ひきこもりに関連して、既存の「専門家」がダメだとすれば、自分で専門性を作らなければ。 医師・支援者・文筆家としてプロを名乗る人たちの議論に納得できないなら、それに反論するあなたは、プロとして力量を問われる用意ができているか。 ただ観客席でブーブー言うだけなら、「プロではない」と言われても仕方がない。 「ひきこもりの経験者」として規定された人たちは、これから大きく3つに分かれるように思う。 (1)幼児あつかいされることで居場所を確保しようとする人たち (2)既存の専門性や共同体への順応主義・権威主義 (3)独自の問題意識で、関係性や専門性のスタイルを試行錯誤する (1)と(2)は両立し得る。 いずれも幼児的で、問題意識として自立していない*1。 私は(3)の一部としかご一緒できないし、この方針は「ひきこもりの経験者」に限定されるものではない。 むしろ(3)を制度内でやってくださらないと

    特異的な専門性 - Freezing Point
    kiyoto01
    kiyoto01 2010/10/07
    同意。まったくそのとおりなのだが、この場合の職業的プロフェッショナルとギルドの形成とは切り離せないのではないだろうか。そして、ギルドの形成とは問い直しの連鎖の停止による標準化の実現と同義なのでは?
  • 主観性と関係性 - Freezing Point

    ニコニコ生放送「東浩紀×宮台真司 『父として考える』」について、東浩紀氏の twitter より: @hazuma: ぼくは単純に、宮台真司さんとぼくはやっぱり生き方やコミュニケーションの捉え方が大きく違うなあ、と素朴に思いました。これは年齢や世代の問題ではないと思います。別にどっちが正しいというわけでもない。単に違う。 @hazuma: ただ、ぼくは宮台さんを尊敬しているので、生き方について「論争」するような失礼で不毛なことはできない。というわけで、ふにふにした番組になってしまったのは、どうしようもなかったかと思います。失礼w 「話してもムダ」と言ってしまっている。 対話の可能性を諦める、だからこそ友好関係が維持できる。 無理に説得しようとすると、感情的に燃え上がるしかない。 逆にいうと、はっきりさせておかなければならない重要な論点も見えていない。 東氏自身において、破綻はすでに生じてい

    主観性と関係性 - Freezing Point
    kiyoto01
    kiyoto01 2010/10/04
    固着からの無限の離脱というこの反復の様態それ自体が、ひきこもりのそれとほとんど同じに見えてしまうのはなぜだろう。問うことを止めて安らうことが最終的なひきこもりからの離脱といえるのではなかったろうか。
  • 能力偽装 - Freezing Point

    togetter「紀藤正樹&落合洋司 両弁護士が語る「前田恒彦的なるものの罠」」より: 紀藤正樹: 僕は前田的堕落は、一見仕事がテキパキできて有能だが、実際は真実に迫ることの出来ない、ダメな法律家のタイプの問題だと思います。 こんなタイプ昔からいたし今もいます。弁護士にもいますし、最終判断する裁判官にも多いと思います。当は真実の探求は、事実→評価ですが、評価→事実(証拠を探す)ということを選択すれば、記録を見る手間が大幅に短縮できますので一見テキパキ仕事ができる人に見えます。 僕は、10年以上、修習生や新人弁護士の教育をしてきましたが、評価して証拠を探すタイプの人は、往々にして、記憶力や時間の省力化の人が多いと思います。もちろん結果は出来の悪い人もいますが、中には書面がバンバンかけて有能に見える人がいます。 落合洋司: 確かに、東京地裁の、優秀そうに見える裁判官には、前田的な人がいるな。

    能力偽装 - Freezing Point
    kiyoto01
    kiyoto01 2010/10/04
    徹底的に鈍感でもなお存続可能な行為体系こそが仕事なのではないだろうか。鈍感さは仕事の基本要件のひとつではないのだろうか。仕事が問い直されるとき、それはすでにして仕事ではなく問い直しなのではないか。
  • ジャンルを創ることと、そのジャンルで成果を出すことは違う。 - Freezing Point

    物理学と、各理論。 野球と、個人成績。 任侠世界と、組作り。 ジャンルがなければ「仕事をした」ことにならないし、共同体づくりもできない。 ひきこもり問題の場合、何をすれば仕事になるのか分からない状態で、「共同体を作らねばならない」という課題だけがある。共同体をつくるために何をすれば仕事をしたことになるのか、それを考え直すことがまずは必要な仕事だろうに*1。 ジャンル形成をしないままに、自分たちの間違った思い込みの反復から抜け出せずにいる。つながりを創るとは、共同体ができるとはそもそも何なのか、それを問い直さざるを得ないことを無視して、旧態依然たる*2つながりの成功を誇示し、それを実現するよう迫っている。 「恋人」とか「仲間」とか「働いた」とか。 何をすれば仕事をしたことになるか分からない状態で、なんで「シゴトした」と誇示できるのか。 お前は嘘のアリバイで不当なカネと地位を得ただけではないか

    ジャンルを創ることと、そのジャンルで成果を出すことは違う。 - Freezing Point
    kiyoto01
    kiyoto01 2010/10/03
    問い直しが必要なのは、元気になることが必要なのは誰なのか。ひきこもる当人だけなのだろうか。あるいはその周辺の人びとも含んでいるのだろうか。だが、ひきこもっていた者が社会参加した際のその周辺とは? なぜ
  • 写実的な嘘をつく

    (2009.2.13)-1 「待っていなさい」コールがあったので待っている。なんでこんなに親切なんだろう。 (2009.2.13)-2 来週はまるまる一週間家を留守にするし、なんだか気ぜわしい。馬たちが「集団化」し、うちそろって水を飲みに出かけ、それからかいばをくわえて戻ってくる。農民たちは家畜と別れるのが辛く、自分の中にしまおうと、みんな殺してった。スーパーマーケットに出かける。とちゅうの道沿いにある牛舎をのぞき込むと、牛は、やせてはいるがきわめて平和そうに反芻をしていた。

    kiyoto01
    kiyoto01 2010/10/03
  • 1