私は1983(昭和58年)に国会議員になり、一貫してソ連・ロシアと向き合ってきました。特に1990年(平成2年)外務政務次官となった時にはゴルバチョフソ連大統領の来日、ソ連崩壊、ロシア誕生と歴史の現場に立ち会いました。プーチン大統領が就任後に会った初めての外国の政治家は私です。 「鈴木宗男=ロシア」といわれるように、今日まで一筋の道を歩んできました。いや、歩んでいると自負しています。 周りからは『票にならない』、『解決は難しい』などと言われてきたこともあります。実際に、そうかもしれません。 しかし、誰かがやらなくてはいけない。それが、日本の国益ならば、明日の日本を創るならば、その一心で政治生命をかけて取り組み、活動をしてまいりました。しかし、一部の外務官僚の情報操作と、それと手を握った検察官僚、そして根拠のない報道によって失脚させられました。 それでもなお、日露平和条約締結と北方領土問題解