77年前の7月初旬、第2次大戦で日本軍はインド北東部を攻略する「インパール作戦」を中止した。物資が不足した日本兵の撤退路は餓死や病死が続出。道端に放置された遺体は高温多湿な環境で腐敗が早く、やがて白骨化した。「白骨街道」と呼ばれた死と隣り合わせの道を踏破した元陸軍伍長の松田善兵衞さん(100)=福井県敦賀市=は「わしもこんなんなるのかなと思った。でも、もう一度(敦賀市の)杉箸の地を踏まないと、と歩いた」と当時を振り返った。 ⇒【写真】インパール作戦を紹介する雑誌に掲載されている行軍する日本兵 1942年に敦賀連隊に入営し、中国に駐留した。その後、補充兵としてインパール作戦の主力を担った3師団のうちの一つ、通称「祭兵団(まつりへいだん)」(第15師団)の67連隊に転属。東南アジアに向かった。 同兵団は2千メートル級の山が連なるビルマ(現ミャンマー)のアラカン山脈を越えて、直接インパールを攻略
![至る所に遺体、無謀な「インパール作戦」とは 100歳の元日本兵男性、当時振り返る | 社会 | 福井のニュース | 福井新聞ONLINE](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/e60d39673fa788f25b7992943165efc9acb40b45/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Ffki.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2Fe%2Fe%2F-%2Fimg_ee8529eceba7f9cca5ac742c4938049b172844.jpg)