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2018年11月17日のブックマーク (2件)

  • セルビアのフクロウ生息地、地域おこしの像が「卑猥」と批判殺到 (ロイター)

    11月15日、フクロウの一種であるトラフヅクの生息地として世界的に知られるセルビア北部の都市キキンダで、フクロウの町として地域おこしのために作られたフクロウの像が、フクロウより男性器に似ているとしてソーシャルメディアでひんしゅくを買っている。14日撮影(2018年 ロイター/Marko Djurica ) [キキンダ(セルビア) 15日 ロイター] - フクロウの一種であるトラフヅクの生息地として世界的に知られるセルビア北部の都市キキンダで、フクロウの町として地域おこしのために作られたフクロウの像が、フクロウより男性器に似ているとしてソーシャルメディアでひんしゅくを買っている。

    セルビアのフクロウ生息地、地域おこしの像が「卑猥」と批判殺到 (ロイター)
    kkobayashi
    kkobayashi 2018/11/17
    フクロウとチンポの中間くらいかな
  • 「本能寺の変」後の柴田勝家直筆の書状見つかる | NHKニュース

    明智光秀が織田信長を討った「能寺の変」の8日後に、信長の重臣として知られる柴田勝家が織田方に宛てた直筆の書状が新潟県新発田市で見つかりました。光秀の討伐に出遅れた勝家が、当時、京都から大阪に展開していた光秀の居場所を正確に把握できていなかったことがうかがえる内容で、専門家は「能寺の変直後の勝家の情報収集の水準がわかる貴重な記録だ」と指摘しています。 郷土史に詳しい新潟大学の冨澤信明名誉教授が新発田市の溝口家に残る歴史資料の中から見つけました。 書状の冒頭には、「天下の形勢は致し方ないことで言語に絶するばかりだ」と、能寺の変について勝家の驚きのことばが記されています。そして明智光秀が、拠点としていた江州、今の滋賀県にいるとみて、当時の大坂にいた織田方の重臣、丹羽長秀と連携して光秀を討伐する計画を明らかにしています。 調査にあたった専門家によると、能寺の変のあと勝家が光秀の居場所に言及

    「本能寺の変」後の柴田勝家直筆の書状見つかる | NHKニュース
    kkobayashi
    kkobayashi 2018/11/17
    諸説あり