もうすぐ進学、就職といった新生活をスタートさせる方がたくさんいらっしゃるとおもいますが、そういった場合に必要な心がまえをわたしがお伝えしたいとおもいます。社会とはきわめてきびしい場所です。あたらしい環境で生活するわけですから、できるだけ気持ちをひきしめてのぞんだ方がいいわけです。四月から、学生、もしくは社会人としてちゃんとやっていけるよう、わたしの意見に耳を傾けていただきたい。 ちゃんとおふろに入ってほしい。学生さんも社会人さんも、毎日おふろに入ってください。からだに石けんをつけてごしごしと洗ってほしいです。それができないとひどいことになります。へんなにおいがしてくるためです。いつも周囲にへんなにおいをまき散らしながら生きていく。こんなことがあってはいけないとわたしはおもう。というのも、わたしの職場にはひとり「すごくくさい人」がいる。こういう人がこまるのは、面と向かって指摘することがたいへ
世の中には、議論することそのものが、無意味でむなしい問題がある。それはたとえば、人には自殺をする権利があるのか、また、人を殺すのはなぜわるいのか、などであり、わたしはこうした議論を真剣におこなっている者を見るたびに、憂鬱な気持ちになるのだった。いやだなあ、とおもう。問いそのものがむなしい。こういった問いを発することが、なにやら重要で、真摯である、とでもいいたげな態度がいやなのだ。なぜ、かかるつまらない問いを、まじめに引き受けるのだろう。「そんな、ばかな質問に、誰が答えてやるものか。このくされ鮹」と一喝した後、飄然とうどんを食えばいいのにとおもっていた。 春日武彦著、「17歳という病」(文春新書)には、実に納得させられた。上記の疑問が、一気に溶解したためである。なんか、すっきりしたよ。やはりこれは、質問そのものが、くだらないのである。そういった疑問を持つこと自体、不遜で、幼稚なのだ。春日がい
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