文章は、後日アップします。 日本の「選択と集中」の特徴 理想的な「選択と集中」 日本にはびこるオールドエリートの構造的問題 「ニューエリート グーグル流・新しい価値を生み出し世界を変える人たち」 から引用。
「東ロボ」を主導した数学者が「読解力がない子どもにプログラミングを教えても、意味がない」と主張する理由:特集:小学生の「プログラミング教育」その前に(8) 2020年度から小学生のプログラミング教育が始まる。官庁や教育機関、企業を巻き込んだ教材開発やデモ授業などが進む中、国立情報学研究所の新井紀子教授は、AIや全国の子どもを対象にした研究活動の成果から「プログラミング教育以前に、学校は子どもの『読解力』を伸ばすべき」と主張する。その理由とは。 こんな状況を想像してほしい。あなたは小学生の子どもを持つ親で、AIの導入やモノのデジタル化が進む将来を見据えている。そのため、自分の子どもには、 最新の環境で、優秀な講師によるプログラミングの授業を受けさせるつもりだ。20年後、あなたの子どもは、プログラミングを深く使いこなし、自分のアイデアをコンピュータで形にできる大人に育つだろうか? 2000年代
磯田道史さん(歴史学者) 歴史家として過去の様々な記録を読むと分かるのは、江戸から明治までの日本は、細かく正確に文書を残す記録大国だったということです。その国がいま「改ざんする」「うそを書く」「残さない」という公文書3悪で歴史に残る問題を起こしてきました。 江戸時代に細かく記録を残すようになったのは、農民と武士が離れて暮らすようになり、武士が統治の役割を担うようになったからです。武士は、領地での出来事の細かい記録を積み重ね、よりよい統治を行おうとしたのです。 250年を超える江戸時代に日本人に染みついた記録をとる癖は、明治時代に力を発揮します。福沢諭吉や岩倉具視の海外使節団が残した西洋の詳細な記録は共有され、急激な近代化を支えました。 しかし日露戦争に勝ってから…
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