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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (11)

  • サヨナラ、サヨナラ - jun-jun1965の日記

    淀川長治の「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」は、当初回数が決まっていなかったが、回数で賭けをする子供がいると聞いて三回に決めたというのは有名な話である。 ところが高見順日記を読んでいたら、「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」というのは、『百万人の英会話』の五十嵐新次郎がやっていたもののようで、淀川のオリジナルではないらしい。そんな古い話ではないので知っている人もいるだろうから、教えてほしいものである。 - 綱淵謙錠『斬』が復刊した。首切り山田浅右衛門が明治を迎えた、そこを描いた名作である。直木賞受賞作とは思えない。ほかに、直木賞受賞作なのに名作といえば、早乙女貢『きょう人の檻』、原りょう『私が殺した少女』、佐藤雅美『恵比寿屋喜兵衛手控え』か。これに準ずるのが、古川薫『漂泊者のアリア』、中村正軌『元首の謀叛』、佐木隆三『復讐するは我にあり』あたりであろうか。

    サヨナラ、サヨナラ - jun-jun1965の日記
    kmiura
    kmiura 2012/01/06
    "淀川長治の「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」は、当初回数が決まっていなかったが、回数で賭けをする子供がいると聞いて三回に決めたというのは有名な話" 知らなかった。
  • 「現代文学論争」補遺 - jun-jun1965の日記

    「現代文学論争」のために書いたのだが、分量の関係で割愛したものである。未完。 福田和也という謎 福田和也(一九六〇− )は、江藤淳、柄谷行人の衣鉢を継ぐ文藝評論家とされ、慶応義塾大学環境情報学部教授である。これまでいくつかの論争を行ってきたが、むしろ福田自身が、謎めいた人物、論争的な人物だと言っていいだろう。 福田は慶大仏文科の大学院に在籍して、修士課程で追い出され、実家の仕事を手伝いながら、フランスが一九四〇年にドイツに降伏したあとの、ナチス協力作家たち(コラボラトゥール)を論じた『奇妙な廃墟』(国書刊行会、のちちくま学芸文庫)を一九八九年に刊行した。福田は、このにはほとんど反響がなくがっかりしたと語っているが、実際には江藤淳がこれに目をつけ、翌九〇年七月号の『諸君!』に「遥かなる日ルネサンス」を「大型新人登場」という見出しとともに載せ、論壇デビューした。これは隔月で四回連載され、同

    「現代文学論争」補遺 - jun-jun1965の日記
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    kmiura 2010/11/11
    "漫罵"
  • インターナショナル - jun-jun1965の日記

    私が『バカのための読書術』で、岩井克人の『貨幣論』に、『資論』の冒頭部分は多くの人が暗記している、と書いてあったのを、そんな人どこにいるのだ、と書いた時のことである。高橋源一郎氏と対談したら、そこについて、1968年頃はみな暗記していたんですよと教えられて、あとで追記した。 それと似たようなことがもう一つあって、1980年頃、高校生だった私は音楽に関心があり、といってももちろんクラシックなのだが、前田憲男の『作曲入門』というを買ってきて読んでいた。すると、「インターナショナル」の歌とかいうのの冒頭部が引かれていて、「ご存知!」と書いてあった。私は、おいご存知じゃないよ知らないよと思ったが、このは1972年の刊行だった。そして、私がその「インターナショナル」という歌を初めて聴いたのは、恐らく二千年以降のことだった。大島渚の『日の夜と霧』の中で歌われたのを聴いた時で、それはまったく、未

    インターナショナル - jun-jun1965の日記
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    kmiura 2010/08/16
    しらなかった。『大江健三郎が少年時代に「こういう皇后陛下のいる国で良かった」という作文を書いて全国レベルで表彰された、という話』
  • 江藤淳の暗さ - jun-jun1965の日記

    江藤淳が夫人を殴ったことが書いてある「日と私」を読んだ。これは1967年に三カ月『朝日ジャーナル』に連載され、中断したもので、単行に収められていないのみか、自筆年譜からも抹消されていた(これは間違い。http://blog.goo.ne.jp/ikagenki/e/902f1c5a27036876f68fd5cff0eb0eed)。2001年にちくま学芸文庫『江藤淳コレクション』2に入ったのだが、180ページとかなりの分量がある。 先日来、中島ギドー『ウィーン家族』とか仲正昌樹『Nの肖像』とかを読んで来て、やはり江藤が自殺しているということもあって、これがいちばん不気味だった。これは64年の米国からの帰国から、65年の山川方夫の事故死までを描いており、なぜか山川が「Y」という具合に、みなイニシャルで書かれている。 私は修士論文を書いたころちょっとした江藤淳マニアで、古書店で『夜の紅茶』

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    kmiura 2009/12/19
  • 小林よしのり氏に答える(2) - jun-jun1965の日記

    (活字化のため削除) - 高井戸図書館のすぐ裏手に、松清張邸があるのを発見した。いやあ、この家、欲しいなあ、と思った。まあ清張だって50くらいから売れっ子作家になったわけだし、可能性ゼロとは言えないぞ…などと。何といっても、書庫が欲しい。もうそれだけである。 - 小熊英二は往年の学生運動の連中を愚かだと思っているようだが、九条の会に参加している自分の愚かさには気づかないのだろうか。不思議だ。実に不思議だ。 (活字化のため削除) (小谷野敦)

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    kmiura 2009/09/16
  • 小林よしのり氏に答える - jun-jun1965の日記

    長谷川三千子先生から、小冊子『野上耀三・野上三枝子生い立ちの記』をお送りいただいた。私はこれで、三枝子の父市河三喜の二人の男児がいずれも早世しているのを知った。次男・三愛は幼くして病で、長男・三栄は、1943年、海軍機関学校の英語教師として赴任してほどなく、神経症を患って帰宅し入院、服毒自殺してしまい、母つまり三喜の晴子はそれを悲しんで後追い自殺してしまう。このことは、英語学関係者の間では知られたことだろうし、野上弥生子日記にもあるらしいが、知らなかった。 『講座小泉八雲』には河島弘美の「市河三喜・晴子夫とハーン」という文章が載っていて、そこでは「長男三栄を失った痛手から立ち直れず、後を追うように逝去した」とあって、どちらも自殺であることが伏せられている。「追うように」ではなくて「追った」のである。 - 生きている人について書く時は当人に取材すべきだ、というのは正論なのだが、実はそうも

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    kmiura 2009/09/16
  • 連合赤軍事件はひたすら愚劣である - jun-jun1965の日記

    私は、連合赤軍あさま山荘事件について、オウム真理教の地下鉄サリン事件と同様の、あるいは三島由紀夫の自衛隊乱入割腹事件と同様の、愚劣な、無意味な事件だとしか思っていない。ただし、フランス革命についてはそう思っていない。これらが愚劣なのは、結局は社会全体や国家の変革などまったく成し遂げられず、単に人が集団を作って何かを信奉して蹉跌した際の、行き場を失った精神エネルギーが起こした病的な事件だからである。のみならず私はドストエフスキーの『悪霊』についても、何の関心もない。 連合赤軍事件については、高橋和巳の「内ゲバの論理」を一読すれば用は足りる。人間はどうやら、集団を作ると狂気に陥るものらしい。むろん、孤独であることによって陥る狂気もあるが、私は中庸を尊ぶから、いずれもよしとしない。集団がもたらす狂気は、単に狂気なのであって、私はあさま山荘事件の連中に何一つ共感するところはない。人殺しども、と思う

    連合赤軍事件はひたすら愚劣である - jun-jun1965の日記
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    kmiura 2008/09/09
    中庸って相対的な位置だからなあ。
  • 昭和30年代へ行け樋口康彦 - jun-jun1965の日記

    樋口康彦『崖っぷち高齢独身者−30代・40代結婚活動入門』(光文社新書)というのを先日からぼちぼち読んでいる。著者は1965年生、関西大学および大学院出、専門は教育社会心理学、おそらく数年前から、富山国際大学専任講師。五年前から、お見合いパーティーや結婚相談所で約300万円の金をかけて結婚相手を探したが成婚には至っていない。書はその自己ルポと、著者がひねり出した教訓を書いたものである。 だいたい、関西大学の大学院へ行くなどというのがかなり危険な行為である。関西では二流かもしれないが、全国的には三流大学で、そんなところで大学院へ進むのは、半ば人生を捨てたようなものだ。ただ樋口の場合、1980年代、バブル経済期のことなので、一概には責められない。 しかし樋口は身長170cm、体重59kg、顔もそうまずくない。酒も煙草もギャンブルもやらないという。 ところが、読んでいくと、どうもこの方の考え

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    kmiura 2008/08/23
    "「性的逸脱」" 笑った。
  • 下井守教授に拉致されかける - jun-jun1965の日記

    (活字化のため削除) ところで千代田区あたりで課金されたら訴訟を起こすという計画が、実は困難であることが分かった。というのは、当然私は「金は払わん」と言う。ただし名刺は渡すから、家まで来るかもしれんが、それでも当然払わん。もし払ったら、その自発性によって相手方の責任を追及するのは難しくなる。かといって払わなければ、損害がないから訴えられない。 赤塚不二夫が「闘病中も酒を手放さなかった」と報道されるが、誰かが死んでも「たばこを手放さなかった」とは報道しないよね、禁煙ファシスト連盟の新聞さんたち。

    下井守教授に拉致されかける - jun-jun1965の日記
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    kmiura 2008/08/06
    どっちもどっちとはいいたくないが、それぞれいい感じだと思った。
  • 長谷川先生の手紙 - jun-jun1965の日記

    長谷川三千子先生からお手紙をいただいた。先日のブログを御覧になったそうである。明日あたりお返事を書くつもりだが、驚いた事実がある。『諸君!』2006年1月号の、長谷川、八木秀次、所功の鼎談で、八木は皇室の側室制度復活を唱えたというのだ。しかし活字面で見る限り、八木はそんなことは言っていない。長谷川先生の言も、お手紙にあるのと活字面とではやや開きがあるが、「側室制度復活が望ましいけれど現実的ではない」とのこと。しかし八木に関しては、長谷川先生のお手紙が正しければ、そこで語られたことと、活字になったものとがまったく違うということになる。しかも所は、二人の意見を聞いて「それを聞いて安心しました。私はお二人が側室制度を復活させよと主張するのではないかと思っていたので」と言っている(記憶による大意)。 この鼎談は、次の号で所が、題名その他について異議を申し立てる投書をしたいわくつきのものだが、そんな

    長谷川先生の手紙 - jun-jun1965の日記
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    kmiura 2008/03/08
    "八木は皇室の側室制度復活を唱えたという"
  • 金井美恵子先生に頑張ってほしい - jun-jun1965の日記

    金井美恵子先生が、このところ元気がない。『一冊の』の連載で、目の具合が悪くなった報告と休載に続いて、今月も、最後は「上野千鶴子の言うような夢と希望に溢れたのとはまるで違う老後が控えており、年はとっても長生きはしたくない」などと書いている。心配だ。お元気になってほしい。 私が金井先生のを読んだのは、確か1979年、新潮文庫に入っている『愛の生活』に目がとまって以来で、当時まだ30そこそこだった金井先生のを文庫でいくつか読み、『夜になっても遊びつづけろ』で、その小生意気ぶりに実に痛快な思いをさせられた。『岸辺のない海』という、ひどくイメージを喚起する題名の小説もその頃読んだ。 その後遠ざかり、蓮實先生と一緒に毒舌を吐く姿に一抹の違和感を覚え、松浦寿輝と同棲しているという噂に興じたりしつつ、留学中に文庫で『タマや』を読んで感嘆した。「デビューした時石川淳に褒めてもらったから生きている間は言

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    kmiura 2008/02/28
    大いに同感。
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