帰省したらテーブルの上に広げてあった父の給与明細を見てしまった 三十路にして生まれて初めて父親の月収を知った 6月は18万だったらしい これが父にとって高いのか低いのか判らない 父は土木作業員の監督だから安定して18万なわけじゃないだろう 自分が子どものころから雨の日は休みだったし、忙しいときとそうでないときで帰宅時刻が全然違った うちの家庭は自分を含めて子どもは3人で、地方住まいの自営業者の父、パートの母、大正生まれの祖父の6人だった 自分が幼少の頃、バブル時代は毎週出前の寿司を食べていたし、言えばなんでも買ってもらえたし、田舎だからと言うのもあるが、車が6台だか7台あった 金があったんだろう 昭和59年生まれの俺にとってのバブル時代なんてほとんど記憶にないけど、寿司と車とファミコンソフトに溢れていたのは覚えている でも、子どもたちが中学生になるころには「お前たちがいくら頭が良くなったと