「忠臣蔵」でおなじみ、赤穂浪士の討ち入りの舞台となった吉良上野介(きらこうずけのすけ)の屋敷跡を、地元・両国の人たちが守り続けている。世のイメージへの反論と「吉良びいき」はいかほどだろう。 ことの始まりは江戸城の松の廊下。元禄14(1701)年3月、上野介は赤穂藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)に斬りつけられて傷を負う。理由は諸説あるが、幕府は内匠頭を切腹させ、浅野家は取りつぶしに。大石内蔵助(おおいしくらのすけ)ら赤穂浪士47人は翌年、吉良邸に討ち入り、上野介の首をとる――。 討ち入りは元禄15年12月14日とされる。寒さが厳しかった今年1月下旬、東京都墨田区両国3丁目にある吉良邸跡を訪ねた。 真っ白ななまこ塀の門をくぐると、内側は10メートル四方の敷地。吉良邸跡保存会の岡崎安宏会長(83)は「屋敷の一角だった場所。吉良邸は本来、この86倍の広さがあったんです」。1934年、売り出さ