五輪で銅メダルを獲得した 日本で初めて開催されたFIFAの国際大会で監督として日本を率いた ガス爆発に巻き込まれる悲劇が襲ったが麻酔なしの手術を3回乗り越え その後も監督としていろいろなチームを指揮した 79歳になった今も元気いっぱいな姿は変わらない そんな松本育夫氏に五輪でメダルを獲ったころの話や その後の監督人生で大切にしたことなど エネルギーを分けてもらえるような話を聞いた 60年代の日本サッカーは五輪がすべてだった 1968年のメキシコ五輪について語るには、まず当時のサッカーを取り巻く環境について話をしないといけないでしょうね。1964年東京五輪のころはプロが誰もおらず、日本のサッカーは、当時アマチュアだけ参加できることになっていた五輪がすべてだったんです。 その1964年東京五輪で勝つためにデットマール・クラマーさん(故人)が招へいされました。1960年ローマ五輪のときは予選で韓
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