サッカーの元日本代表監督イビチャ・オシムさんは機知に富んだ発言で知られる。Jリーグ1部(J1)の監督時代、「選手を代えて失点すれば監督が悪いことになるし、代えないで失点しても監督が悪いことになる」と述べた▼J1仙台の渡辺晋監督(46)が退任する。事実上の解任という。今季は序盤につまづいてJ1残留争いに巻き込まれ、11位に終わった。昨季は天皇杯で準優勝を果たしたが、指揮を執って約6年間で1桁順位は一度もない▼今季は主力の多くが移籍し、一からのチームづくりを強いられた。当初目指したボールを保持して攻める戦術を諦め、守備重視の堅守速攻に変更し立て直した。大胆な戦術転換がなければJ2降格もあり得た。渡辺さんの手腕である▼チームはJ1最小の予算規模。懐事情が厳しいのは分かる。それにしても有力選手が毎年のように引き抜かれる。下部組織からの選手育成もうまくいっていないように見える。これで結果を出せとは酷
被災地の怒り 「河北さん、一体何やってんのすか。報道してくんねえなら、新聞取んのやめっつぉわ」 台風19号の被災地で、水没した自宅を見に来ていた男性に声を掛けられた。地区の被害実態が全く報道されないため対応が遅く、排水が進まず自宅に戻ることができないのだという。 翌朝、新聞に記事を掲載した。国や宮城県が即座に動き、県南に集中していた排水ポンプを県北に多数振り向けた。作業は徐々に進んだが、地区全体の浸水が解消されたのは台風通過の10日後だった。 8年前の東日本大震災の記憶がよみがえる。岩沼支局に在任中の当時は沿岸2市2町が管轄だったため、発災後に亘理、山元両町の取材にかかりきりになり、お膝元の岩沼市の被害を伝え切れずにいた。 「市内の被害が全く報道されない。何とかしてくれないか」。紳士的な当時の市長は言葉こそ丁寧で穏やかだったが、眼光に怒りが見えた。もちろん翌日以降は被害を手厚く報道した。
宮城県内の県立高校は「宮城県○○高校」と、名称に「立」の字がない。他の多くの県は「立」の字が入っている。図書館などの施設名もそうだ。この違いは何から生まれたのだろう。 県図書館の佐尾博基さん(44)は「宮城以外では北海道と長野県ぐらいなんですよ」と言う。県立の図書館で「立」が付かないのは、宮城、愛知、岐阜など。 県図書館では企画展「宮城『県立』図書館から宮城『県』図書館へ」を10日まで開催中だ。1919年に従来の名称から「立」を削り、現在の名前になった経緯を所蔵資料などで紹介している。 「宮城書籍(しょじゃく)館」として1881年に創立された同館は、名称に費用負担者名を表示せよとの文部省令を受けて「宮城県立図書館」と改称。さらに省令廃止を機に再改称した。県立の学校名から「立」が削られたのもこの時だという。 「『立』の字を削った歴史は分かりました。ただ、なぜ削ったのか、その理由は推測の域を出
台風19号の被害を受けた第三セクター鉄道の阿武隈急行(伊達市)が苦境に立たされている。宮城、福島両県にまたがる鉄路の被害は確認されただけで42カ所に上り、運行を再開できたのは福島県側の区間にとどまる。同社や自治体は再建に全力を注ぐ構えで、不通区間の住民らは「地域の足」の早期再開を願う。(報道部・水野良将、天艸央子) 福島(福島市)-槻木(宮城県柴田町)の24駅、54.9キロのうち、被害は阿武隈川沿いの山間部に目立つ。特にあぶくま(宮城県丸森町)-丸森(同)は土砂流入、線路の道床やのり面の流出といった被害が24カ所発生した。 福島-梁川(伊達市)は15日、梁川-富野(同)は23日に運転を再開。だが宮城県側は不通が続き、同社は21日に丸森-槻木で無料輸送バスの運行を始めた。 丸森町の大学生塩沼泰知さん(19)は21日、バスを使って仙台市内の大学に通った。「ひとまずバスが動いてほっとしたけど、朝
東日本大震災の「復興の象徴」三陸鉄道(岩手県宮古市)にも深い爪痕が残った。盛-久慈間の沿線各所で次々被害が判明し、釜石以北は、ほとんどの区間で運休に追い込まれた。3月のリアス線開通以来、快走を続けてきた三鉄が大きな試練に直面している。 「震災を除けば1984年の開業以来、最大の被害になった。全線運転再開のめどは立っていない」。宮古市で15日にあった記者会見。中村一郎社長が苦渋の表情を浮かべた。 岩手県山田町船越では線路の盛り土が大量の雨水に押し流されて崩壊し、線路が約20メートルにわたって宙づりの状態になった。冠水や倒木、土砂の流入による被害は沿線の計63カ所に及ぶ。 不通となっている釜石-宮古、田老-久慈間では15日、バスによる代行運転が始まった。三鉄は高校生の利用が多い田老-田野畑、津軽石-宮古の両区間で復旧を急ぐ方針だ。田老-田野畑間は今後、数日で運転再開となる見通し。 盛-釜石間は
仙台市議選は25日投開票が行われ、55人の新議員が決まった。旧民進党出身の郡和子市長を支える「市政与党」の立憲民主党が大きく議席を伸ばした。2015年の前回同様、投票率が30%台に低迷した盛り上がらない選挙戦で、存在感を発揮した。自民党などの「市政野党」は、固い地盤と組織力のある現職が手堅く勝利を収めた。 政党対決の構図となったが、国政に関わる目立った争点はなく、22日に1期目の折り返しを迎えた郡市長の市政運営、政治手腕への評価が選択軸となった。 市政与党の一角を成す立民は、郡市長との距離の近さをアピールした。演説では党名を連呼し、党派色を前面に出す選挙戦を展開。7月の参院選宮城選挙区で、党新人が自民現職を撃破した勢いを呼び込んだ。 自民は改選前、市議会で郡市長に厳しい態度で臨んでいたが、選挙戦に入ると一転、批判はすっかり影を潜めた。河北新報社の立候補者アンケートにも、3割が市政運営を「評
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く