友寄英隆『「新自由主義」とは何か』 「学者の議論ってわかりにくいよなー。っていうか実践に使えねーよなー」 てな言葉を左翼仲間からよく聞きます。 学術論文みたいなのはもちろん、総合誌や論壇誌にのっているようなのもそうです。共産党系の雑誌で言っても「経済」の学者の論文はそんなふうに言われたりしますね(笑)。「『前衛』読んでりゃいいや」とか。 マルクスは革命と科学を分け、革命の情熱と、科学をするときの冷静な頭脳は別のもんでないとダメよ、と言ったんですが、まあつい「実践」で使えるかどうかを基準にしちゃいますよね。「実践」って、たとえば党派外の一般の人と政治的な対話をしている最中なんかのことですが、要はそういうときに「さっ」と使える数字や議論かどうか、という基準であります。 余談だけど、連合赤軍事件の死刑囚・坂口弘の手記を読んでいて、 「下車した後、私が、『あの運ちゃんは日共の党員でしょ』と言うと、