ドイツの修道者,宗教思想家。ライン川下流地方ケンペンに生まれ,デーフェンターの共同生活兄弟会の学校で学び,1399年,15歳年長の兄ヨハネスが院長であったアウグスティヌス参事会の修道院に入る。1413年司祭となり,その長い生涯を同修道院のなかで送った。今日なお論争の最終的結着はついていないが,彼が《イミタティオ・クリスティ》の著者であることはほぼ確実視されている。すなわち,彼が書きのこした多くの信心生活に関する論考のうち,四つが一つにまとめられ,この表題の下に後世に伝えられたと推定される。これら信心的著作のほか,〈新しい信心Devotio moderna〉の創始者G.フローテ,その後継者であり,彼自身教えを受けたラーデウェインスFlorentius Radewijnsの伝記,所属した修道院の歴史なども書いており,〈新しい信心〉のもっとも完全で,卓越した代表者とみなされている。 執筆者:稲垣