2015年10月9日のブックマーク (3件)

  • 『感情の呪縛』

    したきりすずめのブログ ~ おもしろきこともなき世をおもしろく すみなすものは心なりけり ~ 「なんか、おもしろいことないかなあ!」と思いながら生きています。 虚実ないまぜの世界を表現しています。 好き。 と思う前は、いろいろ懐疑的だが、 好きだなぁ。 と感じてしまった瞬間からは 理性とか冷静さを失っている。 対象へのイカレ具合にもよるが 「好き」 というフィルターを通して観るから、 ありのままを見てはいないのだろうと 不安になる。 それは、 私にとっては、好ましくない状態だ。 だから、 のめり込みそうになるときには 距離を取り、頭をクールダウンさせるようにしている。 (ウッソだろ?アンタにそんな自己抑制力がアルだなんて、信じらンないね。) (むなしい自己つっこみ終了。) 好きになるとか、 夢中になるとかいうことは、 特別なこととして大切にしまっておきたい。 できることならば、 自分が何を

  • 『心まで誤魔化しても何一つ放り出すつもりはない』

    思えば騙し騙しの人生なんです。 仕事も私生活も恋愛も。 たとえば。 辞めたい辞めたいと言い続けながら未だにしがみついている仕事転職先がないからだとか、生活のためだとか、社会的理由は多々ある。 自分が当にやってみたいことを、勝手に諦めて躊躇ってここまできてしまった感もある。 でもまぁ、多くの人がそうやって夢云々ではなく生活の為に働いているんだろうな。って思って、自分を納得させたりしつつ。 いい加減、今の仕事でちゃんとやっていけるようになんとか自分を変えなければと思うものの、なかなかに難しい。 そして・・・ 私生活。 怠惰がとまらない。苦笑 でもって・・・ 恋愛。 こじらせ過ぎてどうしたらいいのか、もーーーさっぱり分からない。苦笑 もうね、結婚とか奇跡だと思うんです。 両想いですら奇跡だ。 もっとありがたがるべきだったんだよ、両想いってやつを。 それを無下にしてきたツケがまわってきたのか

    『心まで誤魔化しても何一つ放り出すつもりはない』
  • 生活における快適な不快さとはいったいどれくらいなのかについて考えている - きりんの自由研究

    同意する人が3人くらいしかいそうにない話題なんだけども、最近私が強く考えていることなので思考を整理すべく記事にしたい。 私みたいな、無職で今後も働く予定がない人間にとって、日々の生活の良し悪しというのは常に気にかかるもんだ。キャリアパスやら人生設計はもうそれほど考えなくてよいのだから、人生のベンチマークが生活の質におのずとなってくる。 国境越えのバスなんかの車窓の景色やオープンエアのバーで道ばたをぼーっとながめながら「日々の生活にとって快適な不便さとはどれくらいだろう」とカンボジアに入ったあたりからずっと考えてる。— きりんの自由研究 (@giraffree) October 1, 2015 ここ3週間ほどタイとカンボジア(シェムリアップ)を見て回ってきた。どちらも初めての国だった。私は旅行好きというわりに中年になった今も大した数の国を見て回ってない。というのも自分のビジネスを国内でしてい

    生活における快適な不快さとはいったいどれくらいなのかについて考えている - きりんの自由研究
    koganeisyobou
    koganeisyobou 2015/10/09
    (メモ: 人間は多少不便で工夫のしがいがある環境のほうが快適に感じる)