ブックマーク / rikoriko.hatenablog.com (3)

  • 【悲惨】クリスマス会の思い出 - 魚に羽根が

    協調性のない(空気読めない)子供時代のお話。 小学校高学年ぐらいのときにクラスメートの家のクリスマス会にお呼ばれしました。クラスの女子ばかり5~6人が参加していたと思います。 クリスマスプレゼントの交換をするため各自がプレゼントを用意する必要があったのですが、 私はおこづかいをもらっていなかったのと、私自身が親からもプレゼントをもらっていなかったのでプレゼント交換を不参加にしようと思い、何も用意しませんでした。 私は年に一度親戚からもらえるお年玉を引き出し貯金していたのですが、そこからお金を遣いたくなかったのです(ケチだ…) ちなみに引き出し貯金は、ときどき父に盗まれてパチンコ資金にされていました。 クリスマス会の日、母がクッキーを焼いていました。 母は、お菓子の空き箱にキッチンペーパーを敷いてクッキーを詰めただけの簡素なものを私にもたせてくれました。 私はクリスマス会で 「みんなでべよ

    【悲惨】クリスマス会の思い出 - 魚に羽根が
  • 介護の仕事の話 - 魚に羽根が

    このブログで過去のことを書いていると、不眠症っぽくなるのでしばらく休んでました心身に悪影響なのか?しかし書きたいことが多すぎる… とりあえず前回の続き貧乏なので、高卒で就職することにした私 最初の就職は大きめの介護施設のほうがいいと、先生に勧められたのに、設立2年目、少人数でアットホームな職場です!みたいな施設を希望(地雷) 無事就職しました 私は実はかなりどんくさいので、いろいろつまんないミスをしたが、他の介護者の先輩は基的に優しいし、割りとお年寄りに気に入られて楽しさもあった しかし色々と妙なことが・タイムカード式ではなく、手書きで出勤時間を書かされるのだが、毎日夜8時までは残業しているのに、5時半終了と書かされる(従業員全員) ・従業員全員、社長の知り合いの保険屋さんの生命保険に加入させられる(私は未成年だったので、母親の反対で加入を免れた) ・社長がその場にいない従業員の悪口を言

    介護の仕事の話 - 魚に羽根が
  • 派遣社員だったときの話 - 魚に羽根が

    最初の就職で失敗したものの、次の就職先はすぐに見つかった姉の勧めで派遣社員になったのである 当時私のアパートに転がり込んでいた姉は派遣社員を転々としており、仕事が続かない人であったが、そのころはいくらでも派遣先があったのだ 私はかなりの節約生活をしており、電気、水道、ガス、携帯代を合わせても1万円以内であった料も安いパン、にんじん、ジャガイモ、玉ねぎ、ひき肉しか買わなかった そのため薄給にしてはそこそこの貯金はあったし、姉が来てからは光熱費は折半になったため貯金のペースは上がった そして派遣社員の時給950円である、工場での慣れれば簡単な作業で残業代もつくすごく楽しかったこの時の貯金は未だにきれいに残っている 工場に持っていく弁当は、毎日パン2枚と工場で飲み放題の水であり、パンばかりべている子として私は割りと目立っていたらしい 就職から10ヶ月後、社会問題になった派遣切りに合い退職

    派遣社員だったときの話 - 魚に羽根が
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