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NewsとHeritageに関するkohkumaのブックマーク (4)

  • 解体始まる「中銀カプセルタワービル」を丸ごと3D化 保存プロジェクトがスタート

    この取り組みは「3Dデジタルアーカイブプロジェクト」と名付けられている。同社では「戦後に建てられた近代建築は、竣工から50年以上が経ち、老朽化などから維持が困難になってくる建物も今後増えてくると予想される」としており、「アーカイブとして建物の価値を保存するだけにとどまらず、建物を生きた存在として、今の時代ならではの生かし方、デジタル空間上での活用・楽しみ方を構築していきたい」と述べている。 関連記事 「当時もこんな空だったのかな」──カラー化した原爆写真がネットで反響 AIと人力で戦時中などの写真を色付ける「記憶の解凍」 広島と長崎に投下された原爆の“きのこ雲”のカラー化画像がTwitterに投稿され、注目された。「記憶の解凍」という活動の一環で、AIツールと戦争体験者の証言、Twitterのコメントなどを反映してカラー化している。活動に取り組む、東京大学大学院の渡邉英徳教授に取材した。

    解体始まる「中銀カプセルタワービル」を丸ごと3D化 保存プロジェクトがスタート
    kohkuma
    kohkuma 2022/04/18
    “4月12日から解体が始まった、故・黒川紀章氏が設計した「中銀カプセルタワービル」をまるごと3Dデータとして保存するプロジェクトが始動した。建築・都市のデジタル化を手掛けてきたgluonがプロジェクトを主宰。”
  • 「高輪築堤」はどこまで保存できるか。日本最古の鉄道遺産を後世に伝えよう! | タビリス

    初の鉄道の遺構である「高輪築堤」が、高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発工事現場で発見されました。JR東日は保存の意向を示していますが、どこまで保存できるかが気がかりです。 日初の鉄道 日初の鉄道は、1872年(明治5年)に開業した新橋~横浜間の約29km。このうち薩摩藩邸があった高輪付近に関しては、西郷隆盛らの反対で兵部省が用地の提供を拒んだため、鉄道を推進していた大隈重信が海上に建設することを指示。田町~品川間2.7kmの沖合に幅6.4mの堤防を築き、その上に線路を通しました。 これが高輪築堤で、歌川広重(三代)筆による浮世絵「東京八ツ山下海岸蒸気車鉄道之図」には、その風景が鮮やかに描かれています。国家初の鉄道が海の上を走っていた、というのは、世界的に見ても特筆すべきことでしょう。 東京八ツ山下海岸蒸気車鉄道之図。画像:東京都立博物館 線路の下に眠っていた 高輪築堤は、明治から昭和

    「高輪築堤」はどこまで保存できるか。日本最古の鉄道遺産を後世に伝えよう! | タビリス
    kohkuma
    kohkuma 2020/12/04
    “日本初の鉄道の遺構である「高輪築堤」が、高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発工事現場で発見されました。JR東日本は保存の意向を示していますが、どこまで保存できるかが気がかりです。”
  • JR東日本「高輪築堤」一部の保存・公開展示を検討 - 見学会も計画

    JR東日は2日、品川開発プロジェクトの計画エリア内で出土した「高輪築堤」の一部とみられる構造物の調査・保存・公開に関する方針について発表した。「高輪築堤」は、明治初期に鉄道を敷設するため、海上に構築された構造物だという。 出土した「高輪築堤」の一部(提供 : JR東日)。下の地図の「写真1」にあたる場所 出土した「高輪築堤」の一部(提供 : JR東日)。下の地図の「写真2」にあたる場所 JR東日は今後、まちづくりの中で約150年前(明治初期)に構築された「高輪築堤」を継承し、地域の歴史価値向上と地域社会への貢献をめざすとしている。現在、港区教育委員会など関係者と連携を図りつつ、「高輪築堤」の調査を進めるとともに、保存や公開展示などを検討している。 「高輪築堤」が出土した経緯について、2019年4月、品川駅改良工事において石積みの一部を発見。その後、2019年11月に実施した山手線・

    JR東日本「高輪築堤」一部の保存・公開展示を検討 - 見学会も計画
    kohkuma
    kohkuma 2020/12/04
    “JR東日本は2日、品川開発プロジェクトの計画エリア内で出土した「高輪築堤」の一部とみられる構造物の調査・保存・公開に関する方針について発表した。「高輪築堤」は、明治初期に鉄道を敷設するため、海上に…”
  • 鉄道創業期の海上遺構が出土…軍部の抵抗で建設された田町-品川間沿いの「高輪築堤」 | レスポンス(Response.jp)

    JR東日は12月2日、1872年10月に開業した新橋(後の汐留)~横浜(現・桜木町)間の鉄道建設時に、海上に構築された築堤が一部出土したことを明らかにした。 これは「高輪築堤」と呼ばれるもので、新橋~横浜間の鉄道建設の際、当時の明治政府において軍政を行なう官庁であった兵部(ひょうぶ)省が、軍用地を鉄道建設の敷地に提供することに抵抗したため、当時「芝金杉」と呼ばれた現在の東京都港区芝1・2丁目付近から品川駅(東京都港区)付近まで約2.7kmの海上を埋め立てて建設された。1870年10月に着手され、開業目前の1872年9月に完成した。 鉄道創業期の土木技術を今に伝えるとされるこの遺構は、2019年4月、品川駅の改良工事において石積みの一部が発見。さらに同年11月に実施された品川駅付近の山手線・京浜東北線線路切換工事後に行なわれたレール撤去に伴ない、2020年7月には築堤の一部と見られる構造物

    鉄道創業期の海上遺構が出土…軍部の抵抗で建設された田町-品川間沿いの「高輪築堤」 | レスポンス(Response.jp)
    kohkuma
    kohkuma 2020/12/04
    “JR東日本は12月2日、1872年10月に開業した新橋(後の汐留)~横浜(現・桜木町)間の鉄道建設時に、海上に構築された築堤が一部出土したことを明らかにした。”
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