岩手県大船渡市でチリ地震津波(1960年)の後、市立大船渡小の児童や教諭らは体験をつづった文集「黒い海」を作った。「災害の反省を永久に残したい」という願いが込められていた。体験は生かされたのか。51年前と東日本大震災の、2度の大津波を生き延びた当時の児童らに話を聞いた。【宮崎隆、藤沢美由紀】 ◇「経験通りではない」 「経験は当てにならないと感じた」と話すのは、当時4年生だった細川広行さん(60)。細川さんは51年前、高台へ避難する際に見た潮の引いた海を覚えている。「それ以来、津波は水が引いてから来ると思っていた。でも今回は違った」 港湾業の会社役員を務める細川さんは船の中でサンマの積み込み作業をしている時に地震が起きた。すぐに船を下り、従業員らと高台を目指した。元消防団員で、毎年の避難訓練で動きが体に染みついていた。 小学生の細川さんは「ぼくは、とうさんに『ぼくのうちは、どうなった』と聞い