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今から61年前の8月6日午前8時15分― B29から投下されたウラニウム型原爆は、広島上空で炸裂し、一瞬にして 約14万人の命を奪った。いち早く現地に駆けつけた日本の原子核物理学の父、 仁科芳雄博士は、その時の思いをこう綴っている。 「原子爆弾のできた今日となっては、何人も戦争に対する態度を根本的に 変えなくてはならぬ。どうしても戦争は止めなければならぬ。」 しかし、日本が世界唯一の被爆国であると同時に、アメリカとの熾烈な核開発 競争にしのぎを削っていた事実はほとんど語られることはなかった。 実は、敗戦濃厚だった日本の軍部にとって、原爆開発こそが起死回生の「神風」 であり、もし先に開発していれば、サイパンに先制使用していた可能性が あった。そして、その原爆製造計画の責任者こそが仁科博士その人であった。 太平洋戦争末期の断末魔の日本で、一体何が起きていたのか? 原爆と
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