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動機の宗教性 〜ウェーバーの宗教社会学のはじまり 宗教と科学 ウェーバーの宗教社会学 宗教的な動機と資本主義 気になったら読んで欲しい本 【ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』】 【デュルケーム『宗教生活の原初形態』】 動機の宗教性 〜ウェーバーの宗教社会学のはじまり 宗教と科学 ニュートンが科学を生んだ動機は宗教的なものでした。一見して水と油のこの関係。よく考えなくても不思議な気がしますね。なんで合理的なものの塊のような科学が宗教から生まれたのでしょう。 そりゃ宗教といっても宗教そのものから科学が生まれたわけではありません。神学から延長すれば科学が出てくるというわけでもないですからね。だからこそ中世的神学を切り離す者としてデカルトが必要であり重要なのでした。 しかし、それなのに科学の誕生には宗教的な動機が存在したのです。 ウェーバーの宗教社会学 これと似たような問題を
神の被造物からただの物 〜自然観の転換 創世神話と自然世界 神の被造物としての物 物の数学的認識と神意の切断 気になったら読んで欲しい本 【デカルト『幾何学』】 【小阪修平『イラスト西洋哲学史』】 【福翁自伝】 神の被造物からただの物 〜自然観の転換 ではデカルト以前の自然世界はどのように捉えられていたのでしょうか。 創世神話と自然世界 神によって世界は説明されていた、と前回書きましたが、キリスト教にはそもそも有名な神話がありますね。聖書に書かれている、神が7日で世界を想像した、というものです。ここから発して中世ではあらゆるものが神の被造物として捉えられていたようです。それは人間もそうですし、自然世界もそうです。 そのため自然世界というものは、神の意図したものであるとも受け取られていたようです。そこにあるものはただの物ではなく、神によって作られたものであるため、神の意図が介在している、こう
疑うべきものとしての社会認識 〜フランシス・ベーコンの4つのイドラ デュルケームの認識の社会起源と疑うべきもの 認識の根拠としての社会と、信用にたらぬ臆見としての社会認識 気になったら読んで欲しい本 【デカルト『方法序説』】 【ベーコン『ノヴム・オルガヌム』】 【デュルケーム『宗教生活の原初形態』】 疑うべきものとしての社会認識 〜フランシス・ベーコンの4つのイドラ デカルトはあらゆるものを疑いましたが、その中には当然自分たちが常識と思っているものも含まれていました。デカルトと共に近代(もしくは近世)哲学の祖と言われるフランシス・ベーコンという人がいますが、この人は物事を正しく認識するためには避けなければいけない臆見(偏見みたいなもの)があるとして、それを4つにわけています。それが種族のイドラ、洞窟のイドラ、市場のイドラ、劇場のイドラです(イドラとは臆見のことです。ベーコンはそう呼んだんで
社会から与えられる認識と疑う態度 〜どちらも間違ってないのかな 懐疑と信用 デュルケームとデカルトはどちらが正しいの? 〜多分どっちも正しく、順序が違うだけ 絶対的な正しさの根拠はどこにあるの? 気になったら読んで欲しい本 【デカルト『方法序説』/デュルケーム『宗教生活の原初形態』】 社会から与えられる認識と疑う態度 〜どちらも間違ってないのかな 懐疑と信用 デカルトが疑ったものには世の中の通念もありました。確かに世の中にまかり通っているウソというものはあるかと思います。またウソではないけど間違っていた、ということもあります。たとえば医学知識が変わって、かつて悪いとされていたものが良い、なんていうのはよく聞く話です(逆もありますね)。しかしこれはウソをついていたわけではありませんし、また古いとされる知識が当時の判断で間違っていたわけでもありません。さらに言うと、じゃあ、今正しいとされている
デカルト『方法序説』と考える方法 〜デカルト曰く、これですべて考えつくせる、とのことです 考えるための4つの順序 デカルト曰く、あらゆる問題をこの方法で考え尽くせる 証明された正しいものとしての数学 気になったら読んで欲しい本 【デカルト『方法序説』】 デカルト『方法序説』と考える方法 〜デカルト曰く、これですべて考えつくせる、とのことです デカルトは正しいことをどのように考えたのでしょうか。とりあえずヒントは『方法序説』というタイトルにもあります。方法序説って、一体なんの方法なのでしょうか。それは考える方法なのでした。 考えるための4つの順序 デカルトはあらゆるものを疑えると言い、確かなものは疑っている私しかない、とまで考えました。ではその時どうやって考えたのでしょうか。それはー 1.とにかく証明されていて自分で正しいと思われぬものはすべて正しいと認めませんでした。 2.そして考えるべき
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