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シリアに関するkolokolorinのブックマーク (3)

  • オスマン帝国の「アルメニア人虐殺」を認定、米下院が歴史的可決

    1915年に始まった「アルメニア人虐殺」から104年になるのを記念してアルメニアの首都エレバンで行われた追悼式典の模様(2019年4月24日撮影、資料写真)。(c)KAREN MINASYAN / AFP 【10月30日 AFP】米下院は29日、1915年にオスマン帝国時代のトルコで発生した「アルメニア人虐殺」をジェノサイド(集団殺害)と認定する決議案を可決した。米政府とトルコの外交関係が悪化している中、この歴史的な決議案の可決にトルコは強く反発した。 「米国はアルメニア人のジェノサイドの記録を事実であると認定する」とした象徴的な決議案が賛成405、反対11で可決されると議場に歓声と拍手が湧き起こった。このように直接的な文言の決議案は過去数十年間に複数回提出されてきたが、会議で可決されたのは今回が初めて。 ナンシー・ペロシ(Nancy Pelosi)下院議長は、議員らと共に「オスマン帝国

    オスマン帝国の「アルメニア人虐殺」を認定、米下院が歴史的可決
    kolokolorin
    kolokolorin 2019/10/30
    アルメニア人虐殺の件はトルコ人の前で話題にすることはタブーと言われていたんだよね。なぜなら彼らの中でなかったことになってるから。米にとって歴史もカードの一部でしかないっていうのがなんかしっくり来ない。
  • 【記者コラム】この「結末」を誰が予想した……崩壊した国シリア

    イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」の最後の拠点、シリア東部バグズを離れ、クルド人主体の民兵組織「シリア民主軍(SDF)」による尋問を待つIS戦闘員とみられる男たち(2019年2月22日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic 【5月9日 AFP】こんな結末が訪れると、誰が予想しただろう。拘束され、砂漠に並んで座らされているイスラム過激派の戦闘員とされる数百人を見ながら、私は思った。すべては8年前、シリア政権に対する単なる抗議デモから始まった。当時は誰もイスラム過激派について話題にすることなどなかった。 そして今、ある一つの国が崩壊した。 死者37万人以上。家を追われた人は、人口の半数以上に当たる1300万人近くに上る。平和的な民衆蜂起をのみ込んだ暴力の渦から生まれたイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」は、台頭し、そして衰退した。 彼らはシリアからイラクを広範囲にわたって

    【記者コラム】この「結末」を誰が予想した……崩壊した国シリア
  • シリアで23年暮らし現地結婚した私が感じたこの国の「寛容と疲弊」(山崎 やよい) @gendai_biz

    23年間、シリアで暮らした 「故郷のアレッポには戻れない、僕はブラックリストに載っているから」 アレッポ大学考古学科で講師をしていた時の教え子の一人、Yのこの言葉は、現在、外国に逃れている多くのシリア人に当てはまる。 Yは紛争の当初、破壊に瀕する文化財を保護しようと、「反政府」側で活動していた。 そのため政権側から目をつけられ、最終的に国外に逃れた経緯があるが、彼に限らず、「反政府」的な言動を行ったとされる者は、たとえシリアが「平和」になったとしても、国に帰った場合に想定されるそれ相当の「処分」に、非常な恐れを持っている。 「アラブの春」のうねりに呼応して、シリアで2011年3月に始まった自由と尊厳を求める市民の政権への抗議行動は、早い段階で政府の力の弾圧により押し潰された。 その後、宗教をかたる過激派の台頭を経て、自国の利害を追求する数ヵ国の介入は格化し、国の主役であるはずの国民は不在

    シリアで23年暮らし現地結婚した私が感じたこの国の「寛容と疲弊」(山崎 やよい) @gendai_biz
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