先に書きたいことだけ書く。 ・万事の表現と同じく、駄洒落には「発想」と「発信」の二つの段階がある。 ・「駄洒落を発想すること」は言葉遊びであり、言葉を扱うことの修練であり、歴史的に見れば教養であり、言葉に対する感受性の発露である。よって駄洒落を思いついてしまうことは恥ずかしいことではない。それはあなたの脳が言葉に対して強い感受性を持っていることを証明している。 ・「駄洒落を発信すること」の有効性は時代によって変わる。そして現在、駄洒落発信は冬の時代を迎えており、理由は不明ながら駄洒落自体が発信を軽んぜられる・あるいは発信が評価の低下に繋がるという状況を迎えている。ひどい話である。 ・というか、元来は「教養」でこそあれ、別に笑いの種ではなかった筈の洒落というものが、何故現在は「笑いを狙って外したもの」扱いなのかよくわかんない。 ・世の駄洒落ソルジャーは、駄洒落の地位向上・復権に努めたり、掛詞