タグ

ブックマーク / thir.hatenadiary.org (3)

  • だから「ネット/現実」の二分法はやめろと……――「ネット中毒」について - Thirのノート

    ネット依存について思うこと | blog.yuco.netについて。 インターネットが承認欲求を充足させるものであることは前に書いたこともあるが、私はそれ以上に「ネット/現実」という二分法を未だに続けていることを問題としたい。ちなみに、この件についてもかなり昔に書いたことがある。 上記記事の問題点:リアルとネットの切断をめぐって ロハスな生活をするのがそんなにエラいのか?ともかく、くだんの記事においては、インターネットを現実から遊離した存在であるという前提が貫かれている。その前提こそが、我々がまさに問題としたいところである。例えばこの記述。 クローズアップ現代で放送された韓国の子供のエピソード(親子関係に問題があり、ネットで親に対する不満を吐き出していた)を見て、やはりリアルに問題があって、逃げ場としてネット依存になるのだなぁと思った。単純にネットをn時間以下にするというより、リアルの問題

    だから「ネット/現実」の二分法はやめろと……――「ネット中毒」について - Thirのノート
  • てんかん患者からの免許はく奪はより深い意味を持つ - Thirのノート

    ちょうど一年前、私はてんかん患者の社会的地位についてなぜ彼はクレーンに乗らなくてはならなかったのか - Thirのノートにて記した。 そして今回の事件においては、てんかん患者への運転免許取得規制が格的に議論されようとしている。はっきり言って、私はこの規制に断固反対である。それが事件の被害者を侮蔑した行為であるとののしられてもまったく構わない。というのも、免許規制はてんかん患者にとって単なる「運転ができなくなる」以上の意味を持っており、それは彼らの社会的地位をさらに差別に晒すものであることは間違いないためである。 なお、てんかんと免許の「安全性」については、先のクレーン事故と織り交ぜて語られているhttp://ameblo.jp/moonsun3/entry-11220131531.htmlに詳しい。 「クローズ」——仮面をかぶる生き方 てんかんに限らず、慢性精神疾患やエイズなど告知によっ

    てんかん患者からの免許はく奪はより深い意味を持つ - Thirのノート
  • 『絆』再考−−我々はなぜ『絆』という言葉を嫌悪するのか - Thirのノート

    震災から一年がたとうとしている。その中で印象的であったことは、やはり「絆」という言葉が連呼されたことであった。多くの場合、インターネットコミュニティ上で、この「絆」という単語は反発をもたれていた。Twitterにおいても、「何が絆だ」「これは【ほだし】(束縛)のことだ」等々、反発の声が非常に高かったことを覚えている。 では、なぜインターネット上では、これほどまでに「絆」に対するアレルギーが強かったのか。それは、今まさに記述した文章の中にあるのではないか。そう、「アレルギー」だ。 なお、さしあたり稿では、「絆」を「(不特定の)人と人とのつながり」であるとしておく。 昔から存在した「ネットの絆」 そもそもインターネット(不特定多数とのやり取りを行うウェブ上の場所のことを稿ではこのように記載する)とは、「絆」を描くことに長けたメディアであった*1。偉い人はこれを「互酬性が高い」と表現するらし

    『絆』再考−−我々はなぜ『絆』という言葉を嫌悪するのか - Thirのノート
  • 1