アニメ好きなのに声優を知らない人というのがイマイチよくわからない。ヲタクなら声優好きになりそうな物だが…。 どんな人が喋ってるか気にならないのか?2.5次元の存在としてキャラと重なって見えたりしないのか?不思議だ。
アニメ好きなのに声優を知らない人というのがイマイチよくわからない。ヲタクなら声優好きになりそうな物だが…。 どんな人が喋ってるか気にならないのか?2.5次元の存在としてキャラと重なって見えたりしないのか?不思議だ。
文部科学省推薦だか何だか知りませんが、アンパンマンが嫌いです。 ばいきんまん派とか、カレーパンマン最強とか、擬人化同人とかそういう事を言ってんじゃありません。 文部科学省推薦のあのアニメに反吐が出そうです。 暴力(アンパンチ)で毎回事を解決するようなアニメが、本当に良いのか?という問題については、ネット上でたくさんの方が既に議論されています。 が、少なくとも今の教育は「STOP THE 暴力。ダメ、絶対」を貫いているようですし、「問題解決の為なら暴力OK」なんてのを真に受けて大きくなる子ってそんなにいないと思うんですよね。多分ですけど(少なくとも、最近のU-35が引き起こす傷害事件・殺人事件はアンパンマンのせいではないと思う。ソース無いけど) それよりも私は、アンパンマンがチビ達に植え付けているもっと深刻な思想があると考えています。 それは、 「汚い(汚そう、清潔感が無い)存在は、それだけ
ちょりーっす!撲は「らき☆すた」と「ハルヒ」が大好きな中学生です!ブクマで「おまえ絶対中学生じゃないだろw 」とか言ってるヤツって何なの?メチャメチャ中学生だよ!ふざけんなだよ!お前らどこ中よ!! そうそうチョット聞いて下さいよ。昨日、鉄腕バーディーを観てたら急に絵がオカシくなったんです。「作画崩壊キターーーーwwww」当然、次の日はクラスメート達とその話題でモチキリですよ。「ヒド過ぎだろwww 韓国丸投げだろwww 島編ナディアだろwww きっと劇場版は電影少女(実写)と併映だろwww 」 すると例のアニメマニアが割り込んできて「違う!アレは作画回だ!このメクラなヌルオタ共!どうせお前らは『原作に絵が似てるかどうか』でしかアニメの価値を量れないんだろ!」などと抜かすんです。 「あの〜僕たちは鉄腕バーディーが観たいんであってアニメーターの作画を観たい訳じゃないんですけど?」「ゆうきまさみの
今頃どこかでみのもんた達が暴れまわってる事だろうけど、これって単なる嗜好の問題じゃないと思うよ。キャラクタービジネスってのは「キャラクターは商品ではなく実体を持った一個の存在だ」という神聖な嘘を前提に成立している。そこではある作品が気に入らなかったとしても、代わりに他の作品を選ぶと言うことは原則的に言ってできない。ナギは『かんなぎ』の外にはいないから。にも拘らず、そこでは作者の胸三寸で全てがいとも簡単に書き換えられてしまう。消費者はそれに介入することはおろか、影響を与えることすらできない。完全に無力な存在になる。今回の騒動の根底にあったのはこういう事実への嘆きなんじゃないかな。だから、今回の騒動を否定することはオタクそのものを否定するのと同じようなことだと思うよ。まあ「アニメには興味ないけどとりあえずオタクきめえw」みたいな連中はいいけど、みのもんたのほとんどはそうじゃないでしょ?
女性側は結構基本的に気持ちが分からないって言ってたけど 私は分からんでもない。 好きな男キャラがいるんだけど、そのキャラについての恋愛事項は一切作中で述べられてないから何も分からないんだけど、「ヤリチンでした」とか「非童貞でした」とかなったら多分ショック受ける。まあ、といって、男オタが非処女じゃなかったことに怒っている感情と、私の感情は違うものかもしれないんだけどね。そもそも「怒る」というより多分「ショックを受ける」って感じだろうと思うから。 なんで嫌かっていえば単純に過去に女がいたってことがまあ普通にショックだよね 「過去は過去だから」「今とこれからが大事なんだよ!」とか、多分それは現代の恋愛において「正解」なんだろうけど、その正解を割り切れない。根底の感情レベルではやっぱり嫉妬するしショック。 というか、私としては、「男ってなんでそんな処女に拘るの?」ってより、むしろ「なんで女は童貞に
基本的な語義ここらへんの論争によってこの病気がはじめて世に知られる事となった。中学2年生程度の作画知識で萌えオタを否定し、結果何の行動も起こさなくなる病。特に引篭もり患者に多く見られる。重度の患者は勝手な思い込みから社会の規律に反した批評を引き起こすため、早めのケアが必要。闘病患者として作画スレのアニメーターランキングとか書いてる人が有名。(未完治) 最近の一般的な意味自分に自信が無いので「他人とは違う趣味を持っている」ということで無意味なキャラ作りをすること男子が作画@wikiを見たときに取りがちな痛い行動自虐ネタ症例作画@wikiを見始めるカバンの中に自分の落書きスケッチブックを入れておくおもしろくもないアニメを見始めるやさぐれる眠れない午前2時苛立ちがキーボードを叩く(2ch作画スレ方面に)うつのみや理ノエインりょーちも・すしお「萌えオタにだけはなりたくねーよなぁ」売れたアニメーター
今日アニメーターを辞めることにした。正確には会社をバックレた。責任とかモラルとか、もう、わかってるけど、いい。どうでもいい。叩け。とにかく今ドアを出て会社に向かいまた1週間を始めたら俺は 壊 れ る。「うちの会社はノルマとかはないよ。基本給+枚数をこなせば作業手当として給料は上がる。」なのに、基本給は実は「最低限の枚数をこなしたという前提」で設定されていたんだ。作業枚数が、会社の設定した枚数に満たない場合、基本給がマイナスされていく。募集要項にはこう書いてあったんだ。基本給+住宅手当+皆勤手当で15万円。アニメ業界の初任給としてはかなりの高額だ。でもそんなうまい話はなかった。 給料日、俺の手には諭吉が7人しかいなかった。09:30 会社に行く準備をしていると、じんましんが出てくる。09:50 家を出る。太陽光を浴びる唯一の時間。10:00 出勤。「おはようございます」の言葉が空しいほど皆無
夕食を食べている時に、アパートで一緒に住んでいるインド系アメリカ人Yは言った。 『同じガイナックス制作でも、フリクリは好きなんだけど、エヴァは嫌いだよ。 1話2話は見たけど、後はすっげーつまんなくて、見るのを辞めちゃった。』 アメリカではシンジ君のような内気な少年タイプの主人公はあまり理解されないと言う。以前ネットで見つけた "アメリカオタクが選ぶ好きなアニメキャラクターアンケート"みたいなページでシンジ君がボロクソにけなされていたのを 思い出す。Yも優柔不断なシンジ君が嫌いなんだと思った。でも、Yの次の発言は少し予想外だった。 『映画版のエヴァ(古い方)も最悪。でも、唯一、テレビ版の最後の二話は最高だった。』 え、という感じだ。おめでとう、で終わるテレビ版のラストは日本のファンには不評だった。作者自身もテレビ版の最後を上書きするように 映画版を見た。映像美がクライマックスに達するのも、哲
彼氏と別れた。 きっかけは、恥ずかしいけどアニメだ。今、話題のSchooldays。それを見ていて、彼氏は伊藤誠のどこが悪いのか分からないのだと言う。 彼氏いわく、そりゃあ妊娠させたのにあの無神経な発言の数々は、人間としてはどうかと思うが、基本的に誠は据え膳を喰っただけで、周りの女子の方が悪いんじゃないかと。あの年頃の男なんてみんな誠みたいなもんだよ、誠の方が可哀想だ、と言うのだ。 確かに私も周りの女子は好きになれなかったが、誠の行為はひどい裏切りに見えたし、女子から迫られたからと言って、ああも簡単に次々に手を出す男は最低だと思う。そして、それを容認する彼氏の言葉も、ひどいものだと思った。 それをきっかけにして、お互いの恋愛感の違いに話題は発展し、数時間の喧嘩のすえ、本日たった今、別れました。 最終的に別れたのは、恋愛感の違いのせいなのだけど、きっかけは間違いなく誠だった。いくらアニメのキ
なぜ「らき☆すた」否定派は肯定を許さないのか このエントリーを起点にしたやりとりが面白くて「らき☆すた」というテレビアニメ作品に興味を持った。正にしろ負にしろ見た者に大きな影響を与える作品みたいだ。早速ニコニコ動画で視聴してみた。 私は映画や漫画は人並み以上に愛好し、アニメも以前はよく見ていたが(90年代後半の頃のこと)、今は時間的束縛が大きいテレビアニメというジャンルはあまり見ない。話題になったアニメ映画をぽつぽつと見るくらいで、嵌まったと言えるテレビアニメ作品は「ビーストウォーズ」くらいだ。なので、私にはオタク的教養が欠けている。さらに私は二次元にフェティシズムを感じない。エヴァンゲリオンを友人が熱心に勧めるので、一応最後まで視聴したが、ロボットのアクションと最終二話の実験的手法を面白いと感じたくらいで、キャラクターに熱を入れる人たちの心理はあまり理解できなかった。したがって、これから
まずは結論から言おう。 らきすたは「面白く」もないし「つまらなく」もない。 アニメ版「らきすた」は作品ではなく、現象であるからだ。以下、「らきすた」という呼称はアニメ版のみを指す。 現象には内側に入り込むか、外側から眺めるかの二択しかない。 つまり参加することが面白いのであって、素材である「らきすた」そのものはどうでもいいのだ。 もちろんその素材足りうるいくつかの条件を「らきすた」は備えていた。 その条件は非常に流動的かつ偶発的であるため、マーケティング対象としては不適切である。 人為的な再現はほぼ無理だ。 らきすたの爆発的なブームは、最近巷でよく取り上げられる「祭り」の構造に近い。 作品としては典型的な「劣化あずまんが」以上のものではない。 それぞれのキャラクターの立ち位置もあずまんがのキャラクターとコンパチブルである場合も多い。 もちろん細部は違うから完全に互換だとは言えないまでも、か
作画オタでも萌えオタでもいいじゃない、アニオタだもの。 不毛な戦いに疲れたので『愛・おぼえていますか』ぜんぶみちゃったよ。 ファイナルアタックでミンメイ歌いだしてからマジ泣き。 僕達がするべきことは戦うことじゃない、愛しあうことだったんだ! ところで山本寛はなぜ『らき☆すた』の監督を(あんな形で)降板することになったのか? いろいろな説が飛び交っているけれど、「演出・山本寛としては優れていたが、そのこだわり故に監督として全体を見なければならないポジションになったとき、制作スケジュールまたはスタッフワークに問題が生じてしまった」ことに起因する、京都アニメーション内部の修正人事というのが有力だと思います。 「監督において、まだ、その域に達していない」というリリースには、少なくとも『らき☆すた』のクオリティが低すぎたのでとはどこにも書いていない。『ハルヒ』や『ふもっふ』『TSR』を期待していた人
例えば「To Heart2」と言う作品がある。 この作品にはみつみ美里、甘露樹、なかむらたけし、カワタヒサシと言う四人の原画家がおり、それぞれの個性をもって 各キャラクターの原画を描き、一つの作品として纏められている。 その絵柄の違いに特に難色を示すファンはそう多くはいない。それは何故か。 絵柄の違いはあれど、To Heart2と言う世界の中から極端に逸脱してはいないからだ。 対して天元突破グレンラガン第4話。もう言うまでもなく逸脱している。 『逸脱し過ぎた個性』は個性でないのである。 オタクもそうバカではない。個性を認めないほど愚かではないのはTo Heart2が証明している。 では何故、グレンラガン4話はここまで大ブーイングに包まれてしまったのか。その答えがここにある。 今回の作画を担当したのはアニメ「BECK」の監督との事だが、彼の過ちは 「BECKで通用した事が、グレンラガンでも通
アニメを映像面からみるとき、評価軸は二つある。 ひとつは、絵の美麗さ。 ひとつは、動きのよさ。 「絵の美麗さ」とは、いうまでもなく一枚一枚の絵の美しさ。本来は、レイアウトなども含めて絵としての完成度が測られるべきだが、最近では、キャラクターが可愛く描けているかどうかに重きがおかれる傾向がある。 しかしながら、アニメは構造上、多くの人間によって描かれるため、描き手の能力や個性によって絵柄がブレることになる。そのため、作画監督という役職を置くことで、1話単位での絵柄の(できるかぎりの)統一を図っているのが実態。 場合によっては、さらに“総作画監督”という全話にわたって絵柄を管理する役職を設けることもある。 「動きのよさ」とは、動画=動く絵としての心地よさ。細かい表情や、仕草、あるいは派手なアクションなど。この動かし方やタイミングはアニメーターとしての技術力が最も現れる部分であり、個性がはっきり
ヤバイ。新海ヤバイ。まじでヤバイよ、マジヤバイ。 新海ヤバイ。 まずせつない。もうせつないなんてもんじゃない。超せつねー。 切ないとかっても 「東京ドーム20個ぶんくらい?」 とか、もう、そういうレベルじゃない。 何しろ相変わらずアンハッピーエンド。スゲェ!なんか変化とか無いの。お家芸とかマンネリとかを超越してる。切ないし超せつねー。 しかも人に聞いてみると最新作はセクシャリティらしい。ヤバイよ、セクシャリティだよ。 だって普通は童貞とかセックスしないじゃん。だって自分の過去の妄想がだんだん激しくなってったら困るじゃん。盗んだバイクで走り出したりとか困るっしょ。 通学路が伸びて、一年のときは徒歩10分だったのに、三年のときは栃木まで電車で乗り継いで二時間とか泣くっしょ。 だから普通の人とか膨張しない。話のわかるヤツだ。 けど新海はヤバイ。そんなの気にしない。妄想しまくり。水没してる駅とか最
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