ブックマーク / mandanatsusin.cocolog-nifty.com (13)

  • 夏目房之介:マンガコラムニストの誕生(その1) - 漫棚通信ブログ版

    将来、自伝か伝記が書かれるかもしれない(?)夏目房之介。もうじき、新しい著書が出る予定だそうで、楽しみですね。彼が自称するマンガコラムニストという言葉には、マンガ「のことを」書くコラムニストと、マンガ「で」書くコラムニストというダブルミーニングでしょうが、最近すっかり文章の人になってしまって、たまにTVで彼の描いたマンガを見ると(漱石の番組とか)ほっとします。 わたしは夏目房之介のいい読者だったと自分では思ってます。なんせ週刊朝日の10年以上の連載中、ほとんど雑誌で読んでましたから(実はわたしが買ってたわけじゃなくて、実用書以外まったくを読まないウチの親父が、唯一買ってた雑誌が週刊朝日だったんですね)。というわけで、新作評論を読む前に、夏目房之介の足跡を整理しておきましょう。同時代読者のひとりが彼をこう見ていた、というサンプルとしてお読みください。 ○「デキゴトロジー」と「學問」 「デキ

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  • 『ペルセポリス』アニメ化 - 漫棚通信ブログ版

    komogawa
    komogawa 2007/05/16
    図書館で借りる
  • コミックス・ジャーナリズム『パレスチナ』 - 漫棚通信ブログ版

    komogawa
    komogawa 2007/05/09
    必読だ。「この作品を嚆矢としてコミックス・ジャーナリズムという言葉もできているようです。」解説とかにあるのかな
  • 表記のモンダイ - 漫棚通信ブログ版

    このブログでは、漫画・マンガ・まんが・劇画・コミック・コミックス・アメコミ・カートゥーン・カリカチュア・バンドデシネなど、世界じゅうのマンガ的なものすべてを総称して、カタカナで「マンガ」と表記してきました。読むひとにとってはどうでもいいことでしょうが、書くほうはけっこう気にするんですよ(←わたしだけか?)。ところが、どうも最近、これではちょっとマズイかな、と思うようになってきました。 その理由の最大のものは、ここ数年で「manga」が欧米では、「日マンガスタイルで描かれたコミック」の意味になっちゃったから。つまり「manga」といえば、かつて日製コミックという意味で使われていたのが、「ジャパニーズマンガスタイル」という単にコミックのスタイルを示すように変化してきたことによります。 ですから、「アメリカンマンガ」というようなものも出現するわけで、これは「アメリカ人がジャパニーズマンガスタ

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  • 斎藤美奈子、竹内本を読む - 漫棚通信ブログ版

    マガジンハウスのPR誌『ウフ.』、ふつうは書店で無料で配ってるものらしいのですが、ウチの近所にそんな書店はありませんので、アマゾンで2007年2月号を250円出して買ってみました。理由は斎藤美奈子の連載エッセイ『世の中ラボ』で、竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』が取り上げられてると知ったから。 タイトルは、『「見た目」だけではわからない評論社会』です。 論旨としては、「マンガ評論」としてより何より「評論」としてあかんやろと。 マンガ以前の「評論」としてこのには欠陥が多すぎるのだ。(略)第一に根的な方法論がまちがっている。百歩譲ってまちがいではないにしても古すぎる。 そして、伊藤剛『テヅカイズデッド』を紹介して以下のように。 と、このようなを傍らに置くと『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』の拙劣さはいっそう際立つ。なぜって竹内は伊藤が否定した「史観」のそのまた以前、手塚治

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    komogawa
    komogawa 2007/02/18
    amazonで買えたとは
  • 初出を書けっ! - 漫棚通信ブログ版

    今でこそマンガ単行には雑誌初出の記載があるのがふつうになりましたが、これがされるには相当な時間がかかりました。 初出の記載は書誌的記述の基だと思うのですが、マンガはしょせん子ども向け。マンガの文化的側面なんか、出版社自身がどうでもいいと考えていたのがよくわかります。かつて新書版マンガ単行には、例外を除いて雑誌初出の記載なんかないのがアタリマエ。雑誌の名前だけ書いてあったり、発表の年月だけ書いてあったりすればいいほうでした。 初出がふつうに書かれるようになったのは、少女マンガのほうが早かった。集英社マーガレットコミックスは1960年代から存在しましたが、たしか最初はカバーがなかったのかな、そのころは雑誌初出の記載はありませんでした。それが1973年ごろになると、カバーソデか文か、どちらかに初出の記載がなされるようになりました。「ベルばら」の途中ぐらいからでしょうか。 1974年、小学

    初出を書けっ! - 漫棚通信ブログ版
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    komogawa 2007/02/06
    初出一覧の話題
  • 手塚ファン御用達 - 漫棚通信ブログ版

    二階堂黎人「僕らが愛した手塚治虫」読みました。著者はミステリ作家で、もと手塚治虫ファンクラブ会長。手塚コレクターによる、手塚マンガの書影を見せてウンチクをあれこれ語るエッセイです。 図版がいっぱいでたいへん楽しい。手塚が描き直した作品のいろんなバージョンも多く掲載してくれてて、野口文雄の著書と並んで、ほーほーそうかと感心するばかり。わたしは基的にコレクターではないのですが、それでも著者のコレクションはうらやましい。現在も小学館のPR誌「の窓」に連載中だそうですから、いずれ続編が出るのでしょう。 ただし著者は、手塚マンガ大好き、少女マンガ大好き、でも劇画大嫌い。ちょっと狷介なかたですから、バランスのとれたマンガ史の記述は求めてもダメ。そういうではありません。 わたしは著者とそんなに年齢が違わないですし、マンガ体験や持ってるもよく似てる。手塚マンガ大好きの人間ではありますが、手塚マンガ

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    komogawa
    komogawa 2006/12/08
    二階堂黎人「僕らが愛した手塚治虫」
  • なぜキルスティン・ダンストがスパイダーマンのヒロインなのか - 漫棚通信ブログ版

    今回はマンガの話じゃありません。 日人にとって、映画「スパイダーマン」の最大の謎は、なぜヒロイン役がキルスティン・ダンストなのかという点でありました。日人の好みから言って、美人かどうかが微妙なところ。アッチじゃああいうのが美人なのかな、金髪碧眼はやっぱ強いなー、なんて考えておったのですが、どうやらそうでもなかったらしい。 この謎にすっぱり答えてくれる名著が、長谷川町蔵/山崎まどか「ハイスクールU.S.A.-アメリカ学園映画のすべて」であります。 「学園映画」というジャンルが確立されているわけではありませんが、その傾向を持つ映画をできるだけ集めてアメリカのティーン文化を読み取ろうという試み。著者たちの対談で構成されており、めったやたらとくわしく膨大な脚注も付いていて、楽しくかつ役に立ちます。 アメリカのハイスクールといえばあれですね、ジョックスとかナーズとかギークとかゴスとか呼ばれる学内

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  • 「妖怪と歩く」:水木しげるの自伝じゃないのも読んでみる - 漫棚通信ブログ版

    水木しげるは、自伝およびそれに類する作品を、マンガも文章もむっちゃたくさん描いてます。 ●娘に語るお父さんの戦記:河出書房新社1975年・1985年、河出文庫1982年・1995年 ●のんのんばあとオレ(文章版):筑摩書房1977年、ちくま文庫1990年 ●のんのんばあとオレ(マンガ版):講談社/コミックス1992年、講談社漫画文庫1997年 ●ほんまにオレはアホやろか:ポプラ社1978年、社会批評社1998年、新潮文庫2002年、ポプラ社2004年 ●ねぼけ人生:筑摩書房1982年、ちくま文庫1986年・1999年 ●コミック昭和史(1)~(8):講談社/コミックス1988年~1989年、講談社文庫1994年 ●ぼくの一生はゲゲゲの楽園だ マンガ水木しげる自叙伝(1)~(6):講談社/コミックス2001年、「コミック昭和史」の自分史の部分を再構成 ●水木しげる伝(上)(中)(下):講談社

    「妖怪と歩く」:水木しげるの自伝じゃないのも読んでみる - 漫棚通信ブログ版
    komogawa
    komogawa 2006/10/06
    自伝。娘に語るお父さんの戦記:河出書房新社1975年
  • 佐川美代太郎のことを話そう - 漫棚通信ブログ版

    かつて初めて中島敦の小説「李陵」を読んだときのわたしの感想は、なーんだ、佐川美代太郎のほうがスゴイじゃん、というものでした。 わたしの持ってる中島敦のは、講談社文庫の「山月記・弟子・李陵ほか三編」というやつで、1973年の発行です。今、引っ張り出してきましたが、あんまりくりかえし読んだ気配がありません。おそらく、読んだのは一回きり。 中島敦「李陵」は、匈奴に投降した漢の武将・李陵の生涯を描いた短編で、李陵に対する人物として、李陵を弁護して宦官になる刑を受けた司馬遷と、匈奴に捕らえられても屈しなかった蘇武が配されています。中島敦の作品の中でも、名作として有名ですね。でも、わたしはこれより先に、李陵を主人公とするマンガ、佐川美代太郎「望郷の舞」をすでにくりかえし読んでいました。しかも、これがまたオールタイムベストワンと思えるほどの傑作でありました。 佐川美代太郎「望郷の舞」は、1969年「週

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    komogawa
    komogawa 2006/09/19
    佐川美代太郎
  • エッセイマンガと虚実のレベル - 漫棚通信ブログ版

    nanari氏がブログで書かれた桜玉吉「御緩漫玉日記」評に反応して、伊藤剛氏が自身のブログでエッセイマンガの虚実のレベルについて言及されています。 わたしはちょうど、水木しげるの複数描かれてる自伝マンガや、文章による自伝の読み比べをしてたので、この話題は刺激的でした。というか、ぼーっとなんにも考えてなかったもので、こういうふうに考えながら読まなきゃいかんなあと。自伝という形式でも、表現が変わっていくのは虚実のレベルの変化かな。 とくに自分の周辺を題材にするエッセイマンガ(自伝マンガなどを含めて)は、会話でネタを伝えるのと同じように、いかに面白く語るかが芸でしょう。何度もしゃべっているうちに枝葉は削られ、魚の大きさが50cmから1mになっていくのはしょうがない。エントロピーが増大するように、実はどんどん虚に近づくものです。 そこをぐぐっと抑えて、60cmにとどめる努力は、とくにマンガだからこ

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  • アメコミの戦後史 - 漫棚通信ブログ版

    がアメコミをどのように輸入してきたか。ちょっと書いてみますね。(ここで言うアメコミとは、アメリカンコミックスのメインストリーム、主にスーパーヒーローもののことを指してます) 1)神話時代 戦後、アメコミが日で正式に発売されたわけではありませんが、いつの間にやらマンガや絵物語に影響を与えていたようです。おそらくは、米軍が持ち込んできたものが出回ったのか。 福島鉄次の絵物語「砂漠の魔王」(1949年〜1956年冒険王)におけるカラフルな色使いがアメコミの影響であると言われてます。また、水木しげるのマンガデビュー作「ロケットマン」(1958年)や「プラスチックマン」などは、もろアメコミのエピゴーネンキャラクターでした。 TV実写版「スーパーマン」の日での放映開始は1956年でした。当然モノクロ。日で放映されたアメリカTVドラマの最初期のもののひとつになります。「空を見ろ、鳥だ、飛行機だ

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  • 悲しい本「手塚治虫=ストーリーマンガの起源」 - 漫棚通信ブログ版

    よっぽど無視しておこうかと思ったのですが、読んでいてあまりにあきれてしまったので、ひとつきっちり書いときます。 竹内一郎「手塚治虫=ストーリーマンガの起源」読みました。著者は、「さいふうめい」の名でマンガ原作を手がけ、短大などの非常勤講師もされている人物。手塚治虫が先行するどのような文化や作品に影響されてストーリーマンガをつくったか、というテーマの、だと思います。 私にとっては「何故日にストーリーマンガが生まれたのか」は、非常に大きな謎であった。 先行する西洋文化であるフレンチコミックやアメリカンコミックの影響を受けていないとはいえないが、やはりストーリーマンガは、日独自の文化である。 これがまず前提です。 これに読者はまず困ってしまう。著者はストーリーマンガを「日独自の文化」と言いきってます。著者の考えるストーリーマンガはアメコミやBDとは違うものとしていますが、コマがあり、フキ

    悲しい本「手塚治虫=ストーリーマンガの起源」 - 漫棚通信ブログ版
    komogawa
    komogawa 2006/02/22
    「手塚の言葉には韜晦が多く、そのまま信用しちゃならんと、あれほど言われてるにもかかわらず、その言葉を絶対の真実として書かれたこの本」
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