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斎藤美奈子、竹内本を読む - 漫棚通信ブログ版
マガジンハウスのPR誌『ウフ.』、ふつうは書店で無料で配ってるものらしいのですが、ウチの近所にそん... マガジンハウスのPR誌『ウフ.』、ふつうは書店で無料で配ってるものらしいのですが、ウチの近所にそんな書店はありませんので、アマゾンで2007年2月号を250円出して買ってみました。理由は斎藤美奈子の連載エッセイ『世の中ラボ』で、竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』が取り上げられてると知ったから。 タイトルは、『「見た目」だけではわからない評論社会』です。 論旨としては、「マンガ評論」としてより何より「評論」としてあかんやろと。 マンガ以前の「評論」としてこの本には欠陥が多すぎるのだ。(略)第一に根本的な方法論がまちがっている。百歩譲ってまちがいではないにしても古すぎる。 そして、伊藤剛『テヅカイズデッド』を紹介して以下のように。 と、このような本を傍らに置くと『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』の拙劣さはいっそう際立つ。なぜって竹内本は伊藤本が否定した「史観」のそのまた以前、手塚治
2007/02/18 リンク