2007年2月21日のブックマーク (8件)

  • 歴史は時代の舵を切る為にあるもの - アンカテ

    雑種路線でいこう - 技術大国日を育み押しつぶした国家総動員体制の亡霊 という南方さんのエントリーは 日の戦後は、一貫して戦中の国家総動員体制、生産者優遇政策の延長線上にある 70年代までは、そのシステムが経済の仕組みや国際環境と整合的であったのでうまくいった 80年代以降は、両者が乖離しているという根問題に手をつけず、表面的なつぎはぎ的対処に終わったため、いろいろな矛盾が深刻化した ここで見直すべきは、「連綿と続く国家総動員体制の亡霊」である という話だと思ったのですが、これには同意します。特に、戦後という時代を、敗戦〜70年代と80年代〜現代に分けて考えるべきだという視点は重要だと私も考えています。 歴史さえ尊重していれば非論理的で献身的な技術者が大切にされ技術は継承されて,日立製作所のタービン設計ミスのようなチョンボは防げたのだろうか.このようなid:essa氏の視点こそ微視的

    歴史は時代の舵を切る為にあるもの - アンカテ
    konatyan
    konatyan 2007/02/21
  • 凡人が万馬券ばかり買って競馬場を去る社会 - 雑種路線でいこう

    例によってモヤモヤした気持ちでエントリを書いていたら弾さんから質を突いたTBがきた.専門分化による二極化という分析には賛成だけど,それほど専門性の高くない若年層に於けるニートやフリーター増加ついては,まだやることがあるんじゃないかな. 確かに専門性の細分化によって再チャレンジのハードルが高くなったことはホワイトカラー上層の過労や需給ミスマッチの大きな原因であろうし,持とうとするもの・持とうとしないものによる格差と割り切れば,格差社会も悪いとはいい切れないのかも知れない. けれども実際のところ,持とうとするか否か自体が経路依存的であり,これを先験的に扱うことに危険を感じる.つまり,多くのヒトは最初から持とうとしない者ではなかったのかも知れない.推察するに日がこれまで豊かであったのは,身の丈に合わせた「持とうとする」欲望を再帰的に喚起する仕掛けが働いていたからではないか.例えば「いつかはク

    凡人が万馬券ばかり買って競馬場を去る社会 - 雑種路線でいこう
    konatyan
    konatyan 2007/02/21
  • 機会を与えてくれない大企業にジタバタ踏み留まる価値 - 雑種路線でいこう

    id:yukihondaさんのところやid:romuyaさんのところで企業の採用行動のあり方について客観的な職業能力でいくべきだとか、いや組織に順応できるかの主観的判断だという議論が展開されているけれども、最近になって実は採用基準なんて質的には重要じゃないんじゃん、と考えるようになった。 理由は2つあって、ひとつは新卒労働市場の需給ギャップが大きい以上、いくら面接を受けても落ちるヒトは落ちるし、落ちたら疎外感や割り切れなさを感じることに変わりないだろうし、受かったひとについても企業側に彼らの職業能力を認めて活かせるだけの器がなければ、優秀であればあるほど入社してから「自分の能力を活かせていないのではないか」「給料分も働いていないのではないか」「こんなところで足踏みしていることが人生の中で正しい選択なのか」といった焦燥感に駆られることもあろうということだ。 引き続き、ゲマインシャフト的な組

    機会を与えてくれない大企業にジタバタ踏み留まる価値 - 雑種路線でいこう
    konatyan
    konatyan 2007/02/21
  • 本などの文章をスキャナで読み取り、そのままテキストやワードに変換してくれるソフトを探してます!

    などの文章をスキャナで読み取り、そのままテキストやワードに変換してくれるソフトを探してます!

    konatyan
    konatyan 2007/02/21
  • http://d.hatena.ne.jp/iorimasuda/20070129/p2

    konatyan
    konatyan 2007/02/21
    耳が痛い
  • 『下流志向』が指摘する隠された真理 - 数学屋のメガネ

    内田樹さんの『下流思考』が指摘する、今までの常識とは違う、かえって反するような事柄を考えてみたいと思う。子どもたちが勉強をしなくなったと言うことや、若者があまり仕事に関心をもっていないように見えることに対して、世間の見方というのはもっぱら子どもや若者の心の問題に帰しているように感じる。 勉強をしない子どもや仕事をしない若者は、心がけが悪いと言うことだ。それは道徳の問題であり、規律を確立し厳しくすることによって問題が解決するのではないかと考えている大人(これは大部分が男ではないかと思うのだが)が多いのではないだろうか。教育法の「改正」や、教育制度の改革などは、このような方向での発想から考えられていることが多いように感じる。 それに対して、そのような処方箋はほとんど効果を持たないと内田さんは語っている。子どもや若者の問題は、各個人の心がけの問題ではなく、社会という大きな単位に根的な問題が

    『下流志向』が指摘する隠された真理 - 数学屋のメガネ
    konatyan
    konatyan 2007/02/21
  • 新たな「構造的弱者」 - 数学屋のメガネ

    内田樹さんの『下流志向』というの中から気になる部分を抜き出して考えてみようと思う。その一つは、「構造的弱者が生まれつつある」という一節だ。「構造的」という言い方には、個人の努力にもかかわらず、それを越えた大きな枠組みの力によって影響されているというニュアンスがある。個人の責任に帰する以外に、社会的な原因があって弱者になっているというニュアンスを感じる。 そういう弱者は今までもいただろうし、階級社会と呼ばれるところでは今でもたくさんいるに違いない。封建社会は、生まれついての身分に縛られてそこから離れることは出来なかった。典型的な階級社会だっただろう。そこでは、どれほど優れた資質をもっていようと、社会の下層の身分であれば、そこから抜け出ることは出来ない。そして、下層身分ゆえの弱者として生きるしかない運命を持っている。 江戸時代の封建制が崩れて、明治維新によって社会が大きく変わったという点は、

    新たな「構造的弱者」 - 数学屋のメガネ
    konatyan
    konatyan 2007/02/21
  • 「雑記」 「パワーニートの時代」 - 滝川クリスタル

    最近は氏も収束状態にあるようですので、雑感としていろいろな事をだらだらだらと書くことをしたいと思います。 今年から多くの定年を迎える方々が増えてきますが、定年=好きなことをやる・・事までは叶わない状況かもです。 雑誌も市場も資産運用からシニア向けのファッションなどたくさんの誘い文句を使っていますが、肝心の当人は いまさらいきなり「チョイ悪」になれるわけでもなく、話題のお店に格好良く「ふらっと」立ち寄るわけでもなく 多少のお金はあっても使い方にも苦慮するのかもしれません。 今年定年を迎える方にもお話を聞きましたが、いきなり好きなことも出来るわけもなく、いかさまめいた勧誘が 相当に増えた事を除けば何ら変わるところは意外とないらしいです。それならば時間は相当に増えてもそれを 自分なりに楽しく使うだけの「慣れ」がないままに定年を迎えてしまったのかもしれません。 今、全国の図書館が妙齢の男性で溢れて

    「雑記」 「パワーニートの時代」 - 滝川クリスタル
    konatyan
    konatyan 2007/02/21