2007年9月16日、空港で待機するデンマーク代表のケニス・ハイナー・モーラ(%%Kenneth Heiner-Moller%%、手前)監督。同監督はスポーツマンらしくない行為を行ったとして、2試合のベンチ入り禁止処分が下されている。(c)AFP/TEH ENG KOON 【9月16日 AFP】中国で開催されている女子サッカー07W杯に出場しているデンマーク代表が、中国代表によるスパイ疑惑の解決を引き続き追い求めることを明言した。 中国代表は関与してなかったとの理由で国際サッカー連盟(FIFA)が調査を打ち切りにしたことについて、デンマークサッカー協会のアラン・ハンセン(Allan Hansen)会長は「このようなケースを経験したことはない。中国人の男性2人が鏡の後ろに座り、中国戦前日の最終ミーティング前にビデオカメラを持っていたのは奇妙な話だ。FIFAと警察が2人の身元を確認できているこ
(写真)会談に先立ち中国の賈慶林全国政治協商会議主席・党政治局常務委員(左)とあいさつを交わす志位和夫委員長=14日、都内 日本共産党の志位和夫委員長は十四日、都内のホテルで、中国の賈慶林・全国政治協商会議(政協)主席・中国共産党政治局常務委員と会談しました。 志位委員長は、日本共産党と中国共産党との関係正常化いらい両党関係が多面的に発展していることを喜んでいるとのべるとともに、まもなく七十六周年をむかえる一九三一年九月十八日の柳条湖事件の直後に、両党が日本の中国侵略に抗議する共同声明を発表したことに言及。侵略戦争に反対した歴史をもつ党として、日中関係のいっそうの発展に力をつくしたいとのべました。 賈慶林主席は、両党間には密接な交流関係があり、両党は日中問題でも国際問題でも多くの共通の言葉をもっているとし、日本共産党が日本の政界で重要な役割を果たし、日中友好の推進に大きな貢献をおこなってい
【大紀元日本9月14日】中国河北省のカトリック教主教・韓鼎祥氏は9月9日、監禁中に死亡した。同じ教区の神父A氏は匿名の条件で米国VOAの取材に応じ、一部詳細を明らかにした。米国の支援団体は、韓鼎祥氏の死因を質疑、バチカンに調査を行うよう促した。 韓鼎祥・主教は1937年生まれ、生涯において幾度も中国当局に監禁された。第1回目の逮捕は1960年、罪状は反革命活動の推進。強制労働収容所で19年間を服役、1979年に釈放された。また、1986年には神父、1989年には主教と、バチカンに承認された。最後の逮捕は1999年、罪状は違法な宗教信仰活動を行うこと。亡くなるまでに刑務所で過ごした。 A氏によると、韓鼎祥・主教が亡くなったのは9月9日午後11時ごろ。当局が家族に知らせたのは翌午前1時半ごろ。家族は遺体を一目見せられただけで、同3時には遺体が火葬場に運ばれ、同5時には火葬された。8年間
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