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2011年12月13日のブックマーク (4件)

  • 渡鹿野島へ行ってみた(訪問レポ): けだる~ゐ日記

    殺人的に忙しかった仕事も9月末でとりあえず落ち着いたのでやっと夏期休暇を消化する こととなり10月初めの週末とあわせて連休をとることにした。 計画的な休暇ではなかったので、かねてから訪問してみたいと思っていた渡鹿野島へ行く ことに。 ウワサでは、この渡鹿野島。三重県の伊勢方面にある周囲7キロ程の島で、置屋が多数 存在するらしいが、実際に訪問した同僚はいない。 三重県方面の以前担当した顧客等から情報収集してとにかくヤッツケ?で行ってみること にした。 台風並みの低気圧が張出した木曜日、伊勢方面を目指して国道23号を南下。自宅を午前 10時に出発し、ひたすら国道を走る。途中何度か渋滞に逢いながらも、なんとか渡鹿野島 渡船場に到着。 午後4時過ぎであったが周りに人の姿が見えない。 誰もいないのかな?と思いつつ、強風と横殴りの激しい雨で傘が役に立たない状態。とりあ えず、渡船場の待合室に避難するこ

    渡鹿野島へ行ってみた(訪問レポ): けだる~ゐ日記
    konpoco
    konpoco 2011/12/13
    売春婦の島って…いまの日本にまだこんなところが残っているなんて。
  • ウトロ問題とはなにか? : ジャックの談話室

    ウトロ問題といっても知らない人が多いと思いますが、この問題を語ることは、戦後の日で、在日韓国・朝鮮人がいかに好き勝手、傍若無人に振舞い、 寄生虫として日にたかり、この国を蝕んできたかを一般の国民に理解させる助けになると思いますので、ここでご紹介しまず。 ウトロ地区というのは、京都府宇治市にある、在日韓国人が戦後、60年以上も不法占拠して、居座り続けている土地です。 問題の起源は、戦時中に遡ります。 第二次大戦中の1942年に京都府宇治市の宇土口(うとぐち)という地区に飛行場が建設されることになり、その建設工事に約2000人の労働者が従事します。 この内、1300人が朝鮮人労働者で、彼らとその家族が生活していた飯場があった場所が現在のウトロ地区の前身で、 ウトロという地名は、朝鮮人が宇土口を間違えて呼んだことからきているそうです。 やがて日戦争に負けて、工事は中止になり、建設済みの施

    konpoco
    konpoco 2011/12/13
    これも京都。歴史あるということは、負の歴史も背負っているということ。
  • ゼロ番地の住人たち

    京都市が隠し続けたスラム街 ほんの10年位前まで、京都市には行政に見捨てられた人たちの住む地域「0番地」があった。現在では屈辱的な0番地という見えない存在ではなく、40番地という地名がつけられているが、住人の多くが在日韓国・朝鮮人であり、その殆どが強制連行の被害者たちだった。 日の敗戦後、多くの韓国・朝鮮人が祖国に戻ったものの、戦火で帰る場所を失った人たちもまた多かったのである。そうした人々が鴨川沿いにバラックを立てて住み着き、いつのまにか0番地と呼ばれるようになっていた。 冒頭に紹介した写真を見れば一目瞭然、戦後の荒れ果てた状態がそのまま続いて今に至っている。行政の恩恵がないために、下水どころか生活廃水もし尿も垂れ流しである。 現在、崇仁協議会の運動が実り、40番地の住人たちの立ち退きが始まっている。彼らを収容するために、川沿いには3つの団地建設がはじまり、1つはすでに完成した。ところ

    konpoco
    konpoco 2011/12/13
    京都にはディープなところがあるものだ…
  • おおだて映像計画

    現在ホームページリニューアルに向けて準備中です。 しばらくお待ちください。 なお「ハナばあちゃん!!~わたしのヤマのカマサマ~」のDVD、サントラCD等のお求めや、上映会、講演会のご依頼・ご相談は下記までお願い致します。(amazonやいくつかのサイトでもお取り扱いがございます) おおだて映像計画 TEL.0186-45-1669(とんぼワークス内) 〒017-0044 秋田県大館市御成町二丁目15-22

    konpoco
    konpoco 2011/12/13
    大館市を舞台にした映画「ハナばあちゃん」。フィルムコミッションってのはよくあるけど、地方発で映像制作のプロダクションを立ち上げるとは面白い。