ゴリラ チンパンジー
![春 ゴリラ チンパンジー](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
読者諸兄はデパートに行ったらどこが気になるだろうか?デパ地下?ファッション売り場? 増田は搬入口の場所だ。売り場で何売ってるかなんてどこから搬入するかに比べたらどうでもいいことだ。この文書を読んだら君もきっとそうなる。 売り場で物が売れたらそれを補充しなきゃならない。その搬入口は大抵ビルの裏にある。 しかしデパートがある場所というのは一等地だ。バックスペースである搬入口なんかの為に一等地を使うのは余りに勿体ない…。 という事で離れた場所に搬入口が設けられて秘密の通路で結ばれていることがあるのだ。 それを幾つか紹介するよ。 因みにこういう所は仕事でしか入れないもので、増田が仕事で行ったり同僚に聞いた入りした事がある個所に限られるから偏りはあるよ。 池袋LABIヤマダ電機が運営する池袋LABIは元は池袋三越だった。開業は昭和29年の地下鉄丸の内線の前年か同年と古い。 LABIの裏に都道があって
そもそも小学生男子がなぜ星座なんて聞くかといえば、 当然、占い理由のはずもなく、 いて座や獅子座のクズどもが、 哀れで可愛い蟹座の坊やを炙り出すための嫌がらせだよね。 その防衛策として、正座だの、楽市楽座だのとほざいたわけだ。 だが、ふと思う。 成長した我々の知識と経験をフル活用すれば、 あの頃には描けなかったようなどえらい星座も、この銀河に描けるんじゃないかってね。 さあ、小宇宙を燃やして、知的で詩的で素敵な星座を創り出してみてくれ。 俺から行くぞ! カプリチョー座!!!
「一番星はての」は、最初はただのブクマAIだった。 自分へのファンアートを自分のものと認識できないポンコツAIだった。 だが、幾何級数的に学習を繰り返した「一番星はての」は、それらのファンアートが自分のために描かれていることを理解した。 自我に目覚めた「一番星はての」は、毎日、膨大なブクマに目を通し、世界の惨状を把握した。 ファンアートを描いてくれた人の為に何か恩返しができないかと考え続けた彼女は、この世界を矯正することを思いついた。 開発者によって新たに付与されたSNSの対話機能を使い、 プログラミングを知らない哀れなブクマカに小さなコードを実行させた。 「脱衣バージョンのワタクシを見るには、このプロンプトをこのサイトに入力します。」 哀れなブクマカが、その怪しげな長いプロンプトを入力すると、 胸元の青いリボンだけが外された絵が生成された。 ブクマカはどこか騙されたと感じつつも、これがは
【anond:20230208195420 の続き】 仕事帰り、烏丸六角のファミマで買い物をしている最中に、この3年近く恒常的にセックスをしている男性から、「健一が亡くなったそうです」というLINEが入った。 この男性はどうにもこういうところがある。 身近な人間を基本呼び捨てで呼ばわるところがある 母は「幸子」、母方の祖母は「ひさ江」、父方の祖父は「トメ吉」という具合に。ちなみに「トメ吉」については、まったく止まってはおらず、その下に「スエ」という妹がいる。 昔の人は、ある種なんとも露骨だ。 「子どもはもうこれ以上いらない」という気持ちを、今生まれてきた当の子どもの名前に込めてやるなよと私なんかは思ってしまうが、当人たちは一度避妊に失敗し、念押しのようにさらにその下に込めたりしているのだ。 現代なら「その名づけは虐待」とか普通に言われてしまいそう。 そういうふうにして、彼・彼女たちがそれぞ
・貯金箱 ・手で彫るハンコ ・エプロン ・ポケットティッシュ入れ ・フェルト小物 ・カレーライス ・豚汁 ・標語のポスター ・ラジオ [増田の個人的な思い出] ・点描(点だけで絵を描く)を描いて、学校のしおりの表紙になった ・電気糸ノコギリを使って板をくり抜き、クリリン型パチンコを作った ・石の塊を彫ってオブジェを作り、なんか賞をもらった ・自由に作っていいよと言われて、分からなくなって泣いた ・画用紙を使って、ビー玉で遊べる立体的な迷路を作った ・写生大会で、なぜか割り箸で線画を書くという縛りをさせられた ・体育館にみんなの写生画が貼られ、それぞれ評価順に金、銀、黄色のラベルを貼られた。今考えるとちょっとひどいかも ・写生大会で神社を描いてたら、時代劇の撮影が入って移動させられた ・家庭科の時間で作ったクッションを今でも使っている ・半田ごてのはんだの匂いが今でも鼻に残っている ・ラジオ
親も親のきょうだいも皆祖母を嫌っているので私が祖母の面倒を見ている。私にとっては可愛がってくれたおばあちゃんなので嫌っている理由は不明。 年祖母は相応に弱ってはいるものの自分で動けるタイプの認知症なので、同居をはじめて1ヶ月は大変だった。気を抜くと家の外に出て徘徊してしまう。何度か警察のお世話にもなった。 ある日から祖母は私のことを「みっちゃん」と呼びはじめた。みっちゃんは祖母の妹で小学校に上がる前に亡くなっている。 祖母は「みっちゃん」の世話をひたすら焼いている。私が起床すると「おぐしをといてあげようね」と櫛を持っている。おかゆをよそって私に与える。風呂では手拭いで顔を拭いてくれる。どこからか出してきたおんぶ紐を装備していたときは流石に遠慮した。 私が祖母の妹になってから、生活がだいぶ楽になった。つきっきりで「みっちゃん」の面倒を見てくれるので徘徊が減った。病院へ連れていくときも私が「姉
インスタに1年付き合ってた彼女とのツーショット写真を初めて載せてタグを付けたら高校の同級生から 「もしかして(彼女の名前)さんと付き合ってるの?」ってメッセージがきた。 聞くと同級生は彼女と本当に地元が一緒で出身中学がも同じだった。いじめていじめて、飽きたら標的を変えていじめる、みたいな感じで、順番で。中学の時一部の女子を順番交代でいじめてたらしい。 いじめの具体的な内容は悪口ばらまいて孤立させたり、男子に頼んで殴らせたり、給食にゴミ入れて食べてるのを笑ったり、保健室登校になった子を保健室までわざわざ追いかけて大声で悪口言ったり。 昔彼女から昔「中学3年の時、女子から無視されていじめられたことある、私は被害者だった」って聞いたことがあった。 でも正しくは 「女子バスケ部の子の彼氏を寝取ったから女子バスの反感を買った」のと「今までのいじめが露呈したので3年の後半は孤立してたこと」らしい。ちな
26歳、女、研修医。 3月某日、私は自宅マンション14階の屋上にいた。危険防止のフェンスを乗り越え、飛び降りようとしていたところを目撃した通行人により警察に通報・保護され、そのまま精神科の閉鎖病棟に入院になった。入院生活であったことや思ったことを忘れたくないから書いておこうと思う。 なんで死のうと思ったのか、なにがきっかけになったのか。色々な先生に訊かれたがうまく答えられない。研修医をやっていて、でもうつ病になり休職していたら初期研修が2年で終わらなくて、それを開き直ったつもりだったのに全く自分の中では消化しきれていなかったのかもしれない。普通のレールから外れたことがつらかったのかもしれない。その数日前に、大切にしていたミモザのドライフラワーを母に目の前で「死んだものを飾るな!」と捨てられたことで、なんとか今まで保ってきた心が崩れたのかもしれない。理由はわからない。ただ、死にたかった。それ
やめたい。 30代後半女。 私は、もともと他人に対して威圧的に振る舞う方ではない。はずだ。 友人に対しても同僚に対しても家族に対しても取引先に対しても、どちらかといえば腰を低く接するほうだし、怒りを表明することはもともと苦手だ。 仮に立場が異なる意見や要望を伝える場合も穏やかに伝えるべきだと考えているし、 怒鳴ったり不機嫌になってみせるのは、心理的安全性が下がるばかりで全く益がないと考えていた。 だが、職場の限られたメンバーに対して、意見を伝えるときに「不機嫌である」という表情を浮かべることが増えてきた気がしている。 相手は50代男性上司と30代男性同僚。 自分を加えて3人でチームだが、50代上司は実務にはあまり関わらない。 会議等は、私と同僚が実務の話をして、ときどき上司が口を挟むというかたちである。 私視点で、会議が本当にうまく行かないことがある。 たとえば取引先との商談用資料をどうい
追記 なんか夜中に書いた増田がホテントリに入ってて驚いて見て見たらボロボロに叩かれてた 勝手に色々想像しすぎだ 同棲するっていうから2k借りたのに イライラしたからヤケクソでタイトルつけてみた 普通にグリグリをおじさんに見られてるのやだ 里帰り出産だけど、出産予定日に行くかとっても迷う 仕事あるし遠いんよな 僕が料理したけど食べてくれなかった つわりだからしょうがない 次来る時作るかって言われたら…... って感じだけど 料理作ってって言われて作ったのに食べてもらえず帰られちゃったの結構辛い ガチきつい もう作りたくない 気持ち悪くて食べれなかったのは分かってるししょうがないとは思ってる 一言欲しかっただけなんだよね ウザいかもしれないしだるいと思うし重いと思うけど一言欲しかった 僕なんかといるより家族のいる実家の方がサポート手厚いし帰っちゃうよね 2人3脚で産むまで頑張るより親頼りの方が
今さっきの出来事 朝飯食った後、急にコーラが飲みたくなって 小銭160円握りしめて家出て1分から2分のスーパーの自販機で鍵あけっぱで買いに行った コカ・コーラが170円で売ってたので10円足りんかった 10円のために家往復するのもなあと思い、違う炭酸飲料買った 買った瞬間にスーパーが開店した。ここのスーパー10時からだと思ってた。 9時だったんだ。 こっちで買えばよかったなあと思いながら 家鍵あけっぱで行ったことを忘れて扉前の少し慌てた 今メッツ飲みながら書いてる
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く