タグ

ブックマーク / blog.goo.ne.jp/antares1113 (1)

  • 不連続的差異論の《メディア》について - philosophical chaosmos

    ODA ウォッチャーズ氏の《メディア》に関する理論化によって、不連続的差異論の新たな地平が開けたと考えられる。即ち、《メディア》が、文理統一の領域となったのである。例えば、文科系の「心」を、《メディア》と考えればいいし、同時に、理科系の量子も《メディア》と考えればいいのである。つまり、《メディア》が一方では、「心」になり、他方、量子となるのである。「物質」とは《メディア》の現象なのである。また、ここで、スピノザの心身平行論が、《メディア》論であることが判明するのである。思惟・「心」も《メディア》であり、延長・「身体」も《メディア》であり、両者、《メディア》を介して、平行していると言える。 ここで、《メディア》の語源を見るのも意義深いだろう。mediumとは、霊媒、即ち、「霊」を媒介する存在である。結局、「霊」も《メディア》であると言えるだろう。なんらかの《メディア》が、霊媒に、伝導している

    不連続的差異論の《メディア》について - philosophical chaosmos
  • 1