1949(昭和24)年の夏は、米占領軍と日本の保守勢力(第3次吉田内閣)によって、100万人を超える労働者の首切り(失業者170万人以上)が計画されていた(行政機構刷新及人員整理の関する件)。これにたいする労働者のたたかいで、国鉄労働組合はその中心的な勢力の一つを構成していた。また同年1月23日に実施された総選挙で日本共産党は、4議席から一挙に35議席へ躍進した(大都市ではほとんどの候補者が第1位となった)が、共産党は当時労働組合に大きな影響力を有していた。 その直前の1月1日には中国共産党軍が北平(北京)に入場し、中国制覇が目前に迫っていた⇒10月1日、毛沢東主席、北京天安門広場で中華人民共和国成立を宣言⇒10月7日、ドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立。 轢死体発見現場 下山総裁の切断された手首 1949(昭和24)年7月6日初代国鉄総裁下山定則(さだのり)氏(47歳)が常磐線綾瀬