日光アイスバックス時代よりもリンクにのめり込んでいる。「一度は引退を決意したが、郡山の4年間が僕を変えた。人生の中でアイスホッケーの幹がさらに太くなった」。旧日本リーグが母体のアジアリーグ参入が決まった東北フリーブレイズで、GM兼監督兼選手の「三足のわらじ」を履く。 北海道苫小牧市出身。駒大苫小牧高から明大へ。福島との縁は少年チームの指導を頼まれたこと。郡山市に本社を置くゼビオの社員をしながら、第二の人生が始まった。当初、驚かされたのはあまりの熱の無さ。県内唯一の少年チームは連休中は家族旅行などで選手が集まらず、練習も覇気に欠けていた。「氷上の格闘技」が根付いていないと思い知らされた。 故郷・苫小牧は市内の各小学校にチームがあり、本人も物心がついたころからスティックを握った。地元のあこがれは日本リーグの雄、王子製紙だった。「子どもたちの目を輝かせるには、トップチームを作るしかない」