天気・体・社会。そこに関わる予感と予測の力。農家も流通業者も病気の人も、天気の恵みにあずかりながらも、ときに荒ぶるその流れにいかに沿うか腐心してきた。天気は予測できるのにコントロールできないという点で身体に似ている。どうやったら私たちは、天気とともに暮らし、社会を営むことができるのか。天気・体・社会の三者の関係を考える、天気の身体論/身体の天気論。 ポテチショック いつでもどこでも、食べたいときに食べたいものが食べられる。特に都会で暮らしている私のような生活者は、ついついそのような錯覚を抱いてしまいがちです。クーラーの効いた真夏のスーパーで、冬野菜の代表である白菜を手に入れることができる。もともとは春が旬であったはずのイチゴを、クリスマスケーキのために買うことができる。もちろん旬の野菜や果物の美味しさは格別ですが、消費者の「食べたい」という欲望は、夏だろうが冬だろうか、天気の条件にかかわら
![第3回 馬鈴薯ビジネスのつとめ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/62d4a7d6e1df0197c779a18d30521793e31d4079/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fs-scrap.com%2Fwp-content%2Fuploads%2F2021%2F06%2FC43-2.png)